ぞっとする話2題
 

 (2)ロケット花火

わたしの子供のころ、名鉄小牧線の春日井駅前には酒屋を兼ねた雑貨屋があって、花火を売っていた。母から1銭か2銭をもらうと、線香花火を買いによく行ったものであった。

買ってきた線香花火を庭先に持ちだし、マッチで火をつける。初めは、勢いよく左右にパチパチと傘を描くように火花を散らしているが、やがて火勢が衰えると、シュッ、シュッという静かな物音に変わり、最後はコメ粒大の火の球となって、ポトリと落ちる。あたりは暗闇につつまれる。すると子ども心にも、もの哀しい、やり切れない気分に襲われるー。

小学3、4年生の頃だったと記憶している。あるとき、浄心の伯母が遊びに来た。母とは三つ違いの、仲良しの姉である。箱詰めの花火を土産にもらった。開けてみると、線香花火のほか、地面にぶつけると破裂するカンシャク玉、くるくる回るネズミ花火、火をつけると蛇のように燃えカスが伸びていくヘビ花火など、とりわけ嬉しかったのは、筒状の打ち上げ式花火が何本も入っていたことであった。

筒を上に向けると、噴き出す火の粉が枝垂れ柳のように舞い降りる優雅なものもあった。なかでも爽快なのは、ロケット式花火。空へ向けて発射させると10数メートル飛んで破裂する。夢中になった。

友だちに見せたくて、近所の仲間を二人呼び出した。自慢はロケット花火だ。マッチで筒の先端に火を付けた。片手に持って、空高く右手を挙げた。ところが、なかなか発射しない。

 「おかしい。火薬が湿っとるぞ」と一人がいう。

「中が空っぽやないか」ともう一人がいう。

「そうか?」

わたしは筒の中を覗いてみた。たしかに、火薬は詰まっている。

「でも変だぞ。もう一度火をつけよか」

そういって、顔を筒から離したとたん、筒は火を噴いた。火の玉は、耳をかすめて空高く舞い上がった。

「ヒイャー」友だちの一人は悲鳴を上げた。おそらく、わたしの顔も恐怖で引きつっていただろう。もう一秒遅かったら、私の眼球はつぶれているところだった。いま思い出しても、ぞっとする出来事であった。以来、当分の間、わたしは花火に手を触れることができなかった。

 花火では、もう一つ思い出すことがある。わたしが40歳前後の頃のことだ。

或る夏、妻と小学生の子供二人を連れて、蒲郡へ一泊旅行をした。夕食後、みんなで庭へ出た。旅館の土産物店で買ったロケット花火を、打ち上げるためである。広々とした庭では、もう何組かの親子連れがいて、花火遊びをしている。

その庭の一角に陣取り、わたしは花火の筒を柔らかい地面に突き刺した。筒の根元に土を盛って固定し、ライターで火を付けた。

するとそのとき、どういうわけか立てた筒が倒れたのだ。起こそうとして近づいたが、遅かった。横向きになった筒から飛び出した火の球は、アッという間に2、30メートル先の旅館の一室に飛び込んだ。

今も、その時の部屋の様子が、まるで客席から眺める舞台のように眼底に焼きついている。明々と電灯がともり、引き戸がすべて開放され、畳と床の間が丸見えになっている。なかにはだれもいない。たぶん、食事か散歩にでも出かけたのだろう。

急遽、部屋の数メートル先まで近づき、中をのぞいた。火の球はもう燃え尽きていたのか、それらしいものは影も形もなかった。

ひとまず、安堵の胸をなでおろした。だが、もし中に人がいたら、そして誰かを直撃していたらと思うと、ぞっとした。そして冷汗が体中に噴き出した。

その途端、われに返った。こんなところにうろうろしていたのでは、空き巣と間違えられるー。慌ててそこから引き返した。

庭の片隅では、妻と子供たちが心配そうに待っていた。

「大丈夫だ」

と言い聞かせたが、子どもたちにも、もうそれ以上花火を続ける気持ちはなくなっていた。いまさら、事の顛末を旅館に報告する勇気もないままに、わたしたちは部屋にもどった。

床についてからも、さきほどの出来事を思い出していた。遠くから一見したところでは、あの部屋は異常がなさそうだったが、ひょっとするとあれは目の錯覚で、花火は部屋には届いていなかったかもしれない―。だが、そんなはずはない。たしかに部屋に入った気がする。だとすれば、畳か障子が焦げているかもしれない。それに気づいた泊り客が騒ぎだしたらどうしよう。わが家を含めて、花火をしていた客がみんな事情を訊かれるかもしれない―。あれこれ考えながら、わたしは寝付かれない一夜を過ごした。

その時から当分、わたしの心は落ち着かなかった。自責の念もあった。しかしそれだけではない。それはいうなれば、サスペンスドラマの結末を見落としたときのような、宙ぶらりんの不全感であった。もう一度あの部屋を訪れ、花火の傷痕が残っていないのを確かめたいー、そんな思いが線香花火のように、いつまでもチリチリとわたしの胸の底で燃え続けていたのを憶えている。     (平成22年10月)

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