(1)川遊び
夏の訪れとともに、毎日のように水の事故がテレビや新聞をにぎわしている。幼い命の失われるニュースに接するたび、わたしは子どもたちの危険な行動に心を痛めているが、同時にわたし自身の同じような無鉄砲な体験を想い出し、よくぞ生き延びてこられたな、という思いに駆られるのである。
たぶん、小学校2年か、3年の頃だったと思う。学校へ通う道の途中に三叉路があって、そこから少し坂を上ったところに、小さな暗渠があった。それは、幅1メートルほどの農業用水路が当時バスやトラックの通っていた道路の下をU字型にくぐり抜け、向う側に流れ出るという、かなり大がかりの構造になっていた。
夏休みになると村の子どもたちが集まり、その暗渠にもぐって道路の向う側に顔を出すという遊びをしていた。
ときどき、そこへ出かけてはみたものの、わたしは彼らから少し離れた場所で、ただその遊びを眺めるだけであった。潜ってから出るまで、ほんの10秒足らずの時間だが、途中で何かに引っかかって出られなくなったらどうしよう、それまで息が持たなかったら溺れ死ぬのではないか、そんな思いが胸を駆けめぐり、どうしても自分でやってみる勇気が出なかったのだ。
そんなある日、悪童連中の一人が言った。
「お前、いつも見てるだけか、弱虫! やってみろよ」
子どもは友だちの言葉には弱いもの。いやだとは言えず、4、5人並んだ列に入って順番を待った。たぶん平気を装っていただろうが、胸の鼓動はすぐ前の子に聞こえはしないかと思われるほど高鳴っていた。
いよいよ自分の番になった。四角い暗渠の口は不気味な渦を巻いていた。恐る恐る足を入れ、身体を沈めた。水が勢いよく下へ流れ落ちるのが肌でわかった。つかまっていた手を離すと、アッという間に吸い込まれた。次の瞬間、足が土管の曲がり角に突き当たったかと思うと、身体が自然に暗渠の形に合わせてL字形に曲がり、続いてもう一度折れ曲がると、勢いよく水面に足から飛び出た。一瞬のことであった。なーんだ、こんな簡単なことだったのかと思った。
その後、間もなくだったと思う。暗渠もぐりは危険ということで、学校からは禁止令が出された。そして暗渠の口には金網が張られ、上からは蓋がされた。事故があったという話は聞いていないが、あんな危険な遊びをよくやったものだと、今でも思い出すとぞっとする。
やはり、その頃のことであった。わたしの家の近くで、今は小牧飛行場になっているあたりには、釣りや水泳のできる川や水路がいくつもあって、よく泳ぎに行ったものである。
わたしは、泳ぎには自信があったが、飛び込みが下手であった。三つ歳上の兄は飛び込みがうまかった。頭を下に下げ、斜めになって飛び込んでいく。まるで、舞い上がったトビウオが水面に着水するときの姿のように美しかった。
ところが、わたしはいつも水面に平行にしか飛び込めない。頭から突っ込むことが怖いのだ。だから、いつも土手に掴まって足から入って泳ぐので、いつまでたっても飛び込みはうまくならない。それでも、悪童連中にそそのかされて、ときには土手から飛び込むことがある。すると、かならず腹を打ってしまう。水の表面張力は強く、腹は平手で思いっきり叩かれたときのように痛い。だがそれよりも厭だったのは、格好が悪いことだ。まるでヒラメがぺたりと水面に貼りつくように飛び込む。すると、川面はパシャっと大きな水しぶきをあげる。
ある日、兄が言った。
「へただなあ、お前―。思いっ切り、逆さまになって飛びこめ」
子どもながら、意地があった。死ぬる思いで頭から飛び込んだ。川はヘソぐらいの深さだったが、そこへほとんど垂直に飛び込んだのだからたまったものではない。頭がグワっと音を立てたように感じた。痛いのなんの、身体じゅうがしびれ、もう駄目かと思ったほどだった。それでも、立ちあがって土手に這い上がった。
頭には大きな瘤ができていたが、出血はなく、また首にも異常はなかった。幸いなことに土手が低かったことと、ビビりながら飛び込んだからよかったものの、もう少し高いところから勢いよく飛び込んでいたら、わたしの命はそこで終わっていただろうと思う。いま思い出しても、ぞっとする出来事だった。
(平成22年8月)
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