《最近の出来事》

パソコンとのつきあい

 

昭和54年、当時在職していたS高校の校長室で、わたしは初めてミニコンなるものを目にした。新しく転任してきた校長さんが、一台を校長室にいれたからである。

ミニコンとはミニ・コンピュータの略で、パソコンの原型をなすものであった。一台が100万円以上したミニコンは、職場では少しずつ数を増していったが、もっぱら入試の採点業務や時間割編成など、数理計算に使用されていた。

ソフトがなかった時代であった。何人かの職員は、数少ない学校のミニコンを使って、いろいろなソフトをプログラミングしていた。だが、わたしはもっぱら利用する立場にあって、校長さんが開発した時間割編成プログラムで時間表をつくったり、因子分析のソフトを使って生徒の意識調査の結果を集計・解析したりしていた。

初期のコンピュータはその名の示すように、コンピュート、つまり計算する機能だけをもっていた。だが、進歩の速度は驚くべきもの、計算機は数年たつと文字変換能力を獲得するようになった。最初はカナ文字、次にはひらがなから漢字へと、その能力は進化していき、ついにワープロ機の登場となった。

わたしが初めて個人的に持ったのはそんなワープロ機で、ブラザーからでていた10万円の製品であった。細長い画面に一行の文字しか表示しない代物だったが、それでも叩いたキーがそのまま日本語となり、しかも活字印刷ができることに驚喜した。

そうしているうちに、ワープロ機はパソコンに取って代わられた。流行に遅れまいと、さっそく購入したパソコン1号機はNEC製。基本ソフトはMSドス、ワープロソフトは一太郎であった。

平成2年に短大へ再就職してからは、研究費で何台か購入したが、わたしの機種は一貫してNECだった。しばらくするとマックが現れ、一時、大学のパソコン教室はすべてマックになった。しかし、巻きかえしを図ったマイクロソフトはウインドウズを開発、再びマックに取って代わるようになった。
その間、基本ソフトのウインドウズは98から2000になり、さらにXP、ビスタ、セブンと変化していった。しかしわたしの場合、変わらないのは漢字変換ソフトで、「ワード」を使っても変換だけは「一太郎」の「ATOKで通している。これが、わたしには相性がよいのである。

平成7年、カナダへ学生たちを引率し、UBC(ブリティッシュ・コロンビア大学)の付属語学学校に1ヶ月逗留した。ところが、そこで驚いたことがある。インターネットはまだ日本ではほとんど利用されていなかった時代であったが、そこでは教師たちが自分のパソコンを駆使し、お互いの連絡やちょっとした打ち合わせはすべておこなっていた。これがLANという小規模インターネットで、そこで交わされる文書が今日のメールだということもはじめて知った。

「すごいですね、カナダはー」と、驚くわたしに、同行のT教授は語った。

「インターネットに関するかぎりはですね、日本はカナダだけでなく欧米にくらべて、10年は遅れているといわれていますよ」

T教授によれば、その原因は日本人がタイプを叩くことに慣れていないこと、そして漢字という文字体系がキーボード変換に適していないことにあるらしかった。

 たしかに、漢字と仮名の入り混じった日本語を26文字の英語文字で入力転換するのは、骨の折れる作業である。英文タイプに慣れているわたしにさえ、それはよく分かった。

 そこで、入力の不便を少しでも軽減しようとして、利用したソフトが二つあった。ひとつはOCR(文書・画像読みとり)ソフト、引用文やことわざのような決まり文句を取り込むには、これはまことに便利であった。さっそく、その方面の草分けである「BIRDS」を購入。しかしこれは認識ミスが多く、かえって時間がかかった。その後出た「E・TYPIST」や「読んでココ」などはかなり精度が増し、論文作成やことわざ辞典の編集に大いに利用した。

 ふたつ目は、音声認識(入力・読み上げ)ソフトである。これは一太郎やワードにも付いていて、はじめのうちは口述筆記をさせている気分で悦に入っていた。だがこのソフト、手紙文などの日常語の入力には向いていたが、論文などのむつかしい語句の変換はいまひとつなので、けっきょく最近は、校正用文書の読み上げに使う程度にしている。

もうひとつ、論文や発想をまとめるのによく利用したのがアイデア・プロセッサー、またはアウトライン・プロセッサーと呼ばれるソフトである。「プランナー・トム」や「インスピレーション」などには、大いにお世話になった。これらは、発想を生み出すKJ法(川喜多二郎の創案するカード方式)をパソコンに応用したようなものである。データベースを作成・保存するのにも役立った。今ではワードや一太郎にも、その一部がランク機能として取りこまれており、草稿を作るのにときどき利用している。

しかし、パソコンとのつき合いで、得るものは多かったが、失うものも少なくなかった。パソコンはわたしにとって一種の麻薬のようなもの、時間の大半がそれに取られるのだ。その魔力から脱出し、ふたたび一冊の本と向きあう静謐の時間を取りもどしたい―、それが最近の心境である。

                          (平成22年1月)

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