パロディー「男はサ行に生きる」

「女性はカ行に生きる」という鈴木雅澄さん(「名東自分史の会」会員)のエッセイに感心した。「女性長寿の極意」は「カキクケコ」の生き方にあるとした作者の指摘は核心をついている。さすがフェミニストの名に恥じない慧眼だと、一つひとつ頷いて読んだ。

読みながら、それでは男が女性に比べて短命なのは何故だろうかと思い、それを解くカギを作者に倣って五十音図の中に探してみた。こじつけながら見つかった気がする。「男性短命の原因」は「サシスセソ」の生き方にあるのではないか。そこで失礼をも顧みず、パロディーに仕立てることにした。題して「男はサ行に生きる」である。

  (1) 

 サ行の「サ」は「酒」の「サ」。酒を飲む姿が似合うのは、やはり男。冬は暖炉のそばで熱燗、夏は風呂上がりのビール、どちらもこたえられない。一日の疲れはたちどころに癒される。酒は百薬の長。しかし時には気違い水にもなる。会社で不愉快なことがあれば、帰りの一杯はヤケ酒、それが高じればフカ酒になる。得意先のセッタイ酒は、調子に乗ってとかくハシゴ酒になりやすい。かくて翌日は二日酔い。身体にいいはずがない。酒で命を縮めるサラリーマンは数知れない。

「シ」は「城」の「シ」。こんにち、親の遺産でもなければ若い男にはそう簡単に家は建たない。男の夢はまず小さいながら自分の家を持つことだ。家を持てばそれが「城」だ。そこに家族をつくり、やがて職場の地位も上がると、さらに大きな「城」を持とうとする。こうして一国一城の主となるために、男は身を粉にして働き、命を削って夢を実現しようとするのだ。

「ス」は「スポーツ」の「ス」。男のスポーツ好きは闘争本能の表れ。むろん女もスポーツをする。しかし、野球、相撲、サッカーなどの勇壮なスポーツは男の独壇場だ。観客も男が多いし、エキサイトして乱闘騒ぎを起こすのは決まって男だ。激しいスポーツは活性酸素を作りだし、老化を早める。スポーツ選手に短命なものが多いのは、そのためでもある。

「セ」は「政治」の「セ」。明治から戦前の昭和にかけて、笈(きゅう)を負うて上京した青年たちの夢は「末は博士か大臣か」の喩え、栄達の極みである大臣を目指し、大物政治家の食客になったり、鞄持ちになったりした。最近は、女房子供を質に入れるほど政治道楽の過ぎる男はいないだろうが、それでも男子一生の仕事、命をかけた男の生き甲斐として、政治家に転職する官僚やタレントは後を絶たない。女性の社会進出が著しい平成の今日でさえ、赤じゅうたんを踏む女性はまだ一割未満と少ない。

「ソ」は「争議」の「ソ」。男はとかく争い事を好む。小は喧嘩から大は戦争まで、男の歴史に争いの絶えたことはない。戦前の遊びは、女の子はママゴト、男の子は戦争ゴッコが相場。今日の時代でも、世界のどこかには紛争がある。一見平和な日本でも、とくに経済界などでは生き残りをかけて激烈な競争が行われている。男はその戦いの中で命を擦り減らしていくのだ。

  (2)

ここまできてあらためて読み返してみると、「サ」行の項目は男の生き方のすべてをカバーしているわけでないことに気づいた。「酒」を飲まない男、「城」の欲しくない男、「スポーツ」の嫌いな男、「政治」に無関心な男、「争議」はご免という男、そんな男が増えている。彼らに相応しい生き方を探しながら、「サ」行の補遺版を書くことにした。

「サ」は「サラリー」の「サ」。「酒」を飲まない下戸でも、「サラリー」(給料)のためには一生額に汗しなければならず、それが男の定めだ。たしかに、下戸には酒代が要らないだけ生活にゆとりが出来るはずだし、二日酔いで肝臓を悪くすることもない。だが、安心してはいられない。男子たるもの、妻子を養う責任からは解放されない。それが重圧となる。そこには過労死の危険だってある。

「シ」は「趣味」の「シ」。近年「城」など持ちたくないという男が増えており、彼らは「趣味」にいわば逃避し、スロー・ライフをエンジョイしている。定年後は、趣味から生まれた芸が身を助ける余生が待っている。彼らはサ行では唯一の例外、多分長生きするであろう。しかし、どうも男には似合わないと思っていたら、案の定・・・・

「シ」にはもう一つあった。「シガレット」の「シ」。この派は、やはり短命。全国的に喫煙率は下がっているが、それでも男の約四割が喫煙者、女の約四倍。肺ガンによる死亡率は非喫煙者の四倍。これらの数字、四が重なって死につながる。ストレス解消になるタバコ、一方では肺ガンの元凶。あちら立てればこちら立たず、「男はつらいよ」。

「ス」は「スロット・マシーン」の「ス」。ラスベガスを代表する賭博機で、日本のパチンコに相当。「スポーツ」嫌いの軟弱男がハマりやすいのは、パチンコ、麻雀、最近ではパソコンゲームなど。こんな室内ゲームに日がな一日うつつを抜かしていたのでは、活性酸素のスポーツよりもさらに健康に悪い。まして、パチンコなどのギャンブルに大金をつぎ込めば、生活も破綻。それで命を縮める者も少なくない。

「セ」は「性事」の「セ」。「政治」にまったく関心のない男でも異性に興味のないものはいない。いや、むしろ大ありである。昔の男子学生は硬派と軟派に別れ、カンカンガクガク天下国家を論じる硬派を尻目に、軟派は街へガールハントに出かけたものだ。これ、いわずと知れたナンパの語源である。一方、政治や革命にのめり込む硬派学生も一皮むけば同じ男、女性を嫌いなはずはない。いずれにしても、男はオスの宿命を背負い、事が済めば消耗品、どうあがいても女性より短命にできている。

「ソ」は「相談」の「ソ」。世の中、「争議」の好きな男ばかりではない。優しい男が増えているし、それに現今は民主社会、何ごとも「相談」で決めるのが風潮だ。たしかに平和的方法はよいことだが、一方ワイワイガヤガヤが高じると事は決まらない。するとイライラが募って、心労はかえって大きくなる。ノイローゼや逆切れ男が増えるわけである。

さて補遺版でも、何とか男の生きのびる術(すべ)はないかと思案を巡らしたが、「シ」の「趣味」を除いて、どうもそれが見あたらない。男はやはり「太く、短く」が性に合うらしく、己の短命を悲しんでいない。あたかも、農民を守って賊と戦い、命を落としていった「七人の侍」のごとく、男は女と子供のために生き、働き、そして死んでいくのだ。

(平成20年7月)

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