ロマンの山、富士

   (1)

「お前、富士山に登ったって? ほんとか?」

 年に一度行われる中学校同窓会の席上、隣り合わせたHがそう尋ねた。

「うん、Yと一緒にな」

私が答えると、向かい側に座っていたYが話を引き取った。

「そうだよ、俺が誘ったんだ。彼、初めは渋っていたんだが・・・・」

50年以上も前の話である。新米教師の私は夏休みを待ちこがれていた。そんな七月のある日、小学校の教師をしているYから電話があった。今度富士山に登ることになったが、一緒に行かないかという。

初めは断った。中学生の頃から心臓弁膜症だった私は、高専、大学を通して運動らしい運動をしたことがなかったし、登山と名のつくものにも縁がなかった。それがこともあろうに富士山とはー。しかし、Yは強引に勧めた。《大の男が何言っているんだ。か弱い女性が二人行くというのにー》 それがとどめの言葉となって、私は折れた。男としてのメンツもあったし、ロマンスの期待もないわけでなかった。

計画では、東海道線とバスを乗り継いで富士吉田まで行き、夜を待って一合目から出発、一晩かけて登山、山頂で御来光を拝むことになった。一行はわれわれ男性二人、それにYと同じ小学校の女子事務員とその女友達、計四人である。

「え? 若い娘が二人もついて行ったって? 親がよく許してくれたものだね」と、話を聞いていたHが言葉をはさむ。

「そりゃーそうさ。Y先生、彼女らに信用されていたんだよ」と私。

「そうでもないよ」とYは否定し、言葉を続ける。「出発の朝、駅に娘のオヤジさんが一人来ていたからね。見送りというより、われわれ男たちを観察に来たんだよ」

若い男二人と適齢期の娘二人の二日がかりの登山旅行、親なら心配するのが当然である。

「それにしても大変な登山だったなー。頂上で御来光を拝む予定が、着いたら正午近かったからね」Yが思い出しながら言う。

「俺のせいだよ。俺がみんなの足を引っ張ったんだ」と私。

「いや、娘たちもへたばって、途中で休んでばかりいたからな。それに、山小屋の一件もあってねー」とビールを干しながら、Yは続ける。「ーあのときは参ったよ」

たしか、5合目か6合目あたりに粗末な小屋があり、疲れた一行はそこで休むことになった。中には囲炉裏があったので、側にあった薪を焚いて暖をとった。みんな眠りこけたらしい。突然、男の声に夢を破られた。《人の家に勝手に入り込んで、焚き火までするとは何ごとだ!》と怒鳴られた。這々の体で逃げ出したことを覚えている。後で聞くと、世慣れたYは薪代に若干の迷惑料を上乗せして謝り、その場を収めたという。

そうこうしているうちに、夜は次第に明け始め、遙か空の彼方に頂上が見えた。やっと7合目か8合目あたりに来たのだろうか、見上げると、ジグザグの登山道には人の群がアリのように動いている。曇天のせいだったか、山かげに遮られたためか、朝日の姿はなかった。空気が薄く、少し歩くとすぐに息切れがする。なんども路傍の岩に腰をおろしながら、登り続ける。山頂に着いたころは、午前11時を過ぎていた。

   (2)

「なるほど、遅れたわけだ。それで、山頂はどうだったね」とHが尋ねる。

「それが幻滅よ。御来光が拝めなかったのは諦めるとしても、ゴミだらけだったには閉口した。」その後二度富士に登ったと語るYは、あのときが一番汚かったという。

「そうだな。俺の記憶にある山頂も、むき出しの岩肌が延々と続き、草一本もないんだ。殺風景そのものよ。やっぱり、富士は麓から眺めてこそロマンだよ」と私。

「そうか、室生犀星の《古里は遠きにありて思うもの》と同じか」と文学趣味のHが論評した。

「でもな、下山のときの砂走りは最高だったよ。あれで救われたね」

私の正直な感想だった。急斜面はひと蹴りすると、フワーと4、5メートルは跳ぶ。柔らかい砂地はその度にザック、ザックと心地よい音を立てる。まるで天空を駆ける鳥のような爽快さだ。

「登りは地獄で、下りは天国だったな。でもね、降り切ったとたん、また地獄だったよ」

なにしろ、10数時間をかけて登った山を、2、3時間で駆け降りるという無茶が祟った。砂走り道の麓に着いたときは4人とも動けなくなっていた。とくに私はひどかった。金剛杖にすがってやっと立ち上がったものの、足が出ない。無理に出すと、ガクガクっとくる。膝が笑うとはこんなことかと、はじめて知る。さすがのYも、応えたようだ。

暫く休んで出発したが、両脚を引きずってトボトボ歩く一行の姿は、敗残兵さながらだった。多分、須走り口あたりだったろうと思う。登山客のための宿泊旅館や休憩施設が何軒も並んでいた。Yの提案で、とある温泉旅館に入り休むことにした。風呂に入って砂を洗い流した。暖かい湯が身体に沁み、ホッと一息ついた。

「おいおい、変なマークの怪しげな旅館じゃないだろうな」とHが混ぜかえす。

「あたりまえだよ。山男用の健全温泉だ」Yが真顔で答える。

「結局、娘の親の心配したような事件は起きなかったんだ」と、Hはやや物足りなげな顔である。

「それに、ロマンスも生まれなかったしね」と言いながら、私は二人の同伴女性を思い出そうとしていた。一人は茶目っ気のある明るい娘さんで、もう一人はしとやかなお嬢さんタイプだった。しかし残念ながら、面影が浮かばない。

「いや、後日談はあるのだがねー」といって、Yはコップのビールをぐいとあおった。

Yによれば、女性事務員はその後、しばらくして学校を辞めて結婚した。彼もいくつかの学校を転任し、何年か経った。そしてある学校へ赴任したとき、彼女から突然電話があった。懐かしかったYは一度学校を訪ねるように誘ったが、やんわり断られたという。

「彼女、何と言って逃げたんだい」その話は初耳だったので、私は尋ねた。

「《今は幸せだからー》と言ったんだ」

ピンと来た。ひょっとすると、彼女は再会の先にある危険を予感したのではなかろうか。焼けぼっくいに火か? 想像が駆けめぐる。ロマンスが生まれなかったと言った私は、どうやら間違っていたようだ。そう思って眺めた視線の先には、ユル・ブリンナー張りのYの端正な横顔があった。

                          (平成20年6月)

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