《海外旅行随想記(3)》

 

  走るフランス人

 

かつて朝日新聞論説主幹であった故・笠信太郎氏は、『ものの見方について』のなかの冒頭で、スペインの外交官マドリヤーガの言葉を紹介し、次のように書いた。

「イギリス人は歩きながら考える。フランス人は考えた後で走り出す。そしてスペイン人は、走ってしまった後で考える。」

国民性をこのように分類、定義したその明快さが受けて、昭和二十五年に出版されたその書は、百万部を超えるベストセラーになった。

さて、わたしがここで取り上げたいと思うのは、そのなかの「フランス人は考えた後で走り出す」という言葉である。その意味を如実に示す実例を、わたしはフランス旅行中に体験した。

昭和五十一年の夏、われわれ研修旅行団はイギリスからフランスへ渡り、パリ郊外に宿泊していた。

その日は、ホテルでの夕食後、午後十一時半発の夜行列車でパリからドイツへ向かうことになっていた。ホテルからパリの南駅まではバスで送ってくれるというので、十時半頃、一行はホテルの前でバスに乗り込み、出発を待っていた。そのとき、予想もしない事件が起こったのである。

バスはちょうどわれわれ一行の荷物を積んでいたのだが、ホテルの前は駐車禁止の場所であったらしい。たまたま通りかかったフランス人警官が「車を移動させろ」と警告したのに対して、フランス人ドライバー氏は「すぐ済むから、そんなにやかましいことは言うな」の態度で警告を無視し、そのまま荷物を積みつづけていたようである。無視された警官はだんだん腹を立て、強い態度に出ると、ドライバーも負けてはいない。そのうちに口論になった。大声の怒鳴り合いが、バスの中のわれわれの耳にも届いた。挙げ句のはては、警官が運転手を拘束、連行していってしまった。

反抗する運転手も運転手だが、運転手なしではツアーの出来ないことを知っての検挙とは、警官も警官である。午後十一時半過ぎてもドライバーは戻らない。ついに、ドイツ行きの最終列車には乗り遅れてしまった。

われわれは領事館へ訴えようかと息まいていると、十二時近くになってやっと戻ってきたドライバー氏、われわれに謝罪し、

「悪かったから、目的地のハイデルベルク駅まで全員送り届ける」

という。

結局、バスは夜通し走り、明け方ハイデルベルグに着いた。たぶん、それはドライバー氏の自己負担においてなされたことであろうが、そんなことまでして警官と喧嘩することの得失はだれの目にも明らかだが、感情が激すると見境がつかないのが、フランス人の気性の激しさのようである。

だが、少し思い直せば、このような性格は、〈考えた後で走り出す〉というより、〈走ってしまった後で考える〉というスペイン人に、いっそう当てはまるような気がする。いずれにしても、堅実な北方民族のイギリス人を〈歩く〉という言葉で、そして陽気な地中海文化圏のラテン系民族を〈走る〉という表現で、それぞれ分類定義したマドリヤーガの慧眼には、感服のほかはない。

同じ思いは、それから十七年後の平成五年、妻と二人でヨーロッパ巡りのツアーに参加したときにも味わった。

ドイツからスイスを経てフランスまで、バスで移動したときである。フランスに入ると、一行の乗ったバスのスピードがとたんに早くなった。道路を走る他の自動車のスピードの流れに乗るからである。

パリでは、ホテルに面した狭い道路でも車のスピードは早く、運転は乱暴であった。信号のない道路の横断は、あぶなくてしようがなかった。それに、街ではパトカーのサイレンがしょっちゅう聞こえていた。目の前を、耳をつんざくサイレンを鳴らしながら疾走する白バイにも、何度もお目にかかった。事故か、さもなくば、事件である。

事件といえば、そのときの旅行中に、同行の一人が地下鉄「メトロ」でスリに遭うという被害があった。

その人は、見るからに堂々とした体格の実業家タイプで、名前はSさんといった。夕食後、数人の仲間とセーヌ川クルーズへ出かけ、その帰り道メトロに乗ったとき、事件は起きた。

もう午前零時に近かったが、車内は空席がないほど混雑し、Sさんは仲間と一緒に通路に立っていた。ある駅で停車し、次の発車間際に、数人連れの若いフランス人たちが後ろをドカドカと通り抜けていった。ハッとあることを思いついたSさん、ズボンの後ろポケットに手をやると、入れていた財布がない。三人連れはと見れば、ドアの近くまで移動し、降りようとしている。Sさんはドアまですっ飛んでいき、思わず逃げようとするひとりの男の手を掴んだ。すると仲間の一人がSさん目がけ、スプレーをかけた。車内は噴霧がたちこめ、視界が遮られたが、力の強いSさんはひるまず、賊の手を離さない。男はプラットホームに降り立ち、掴まれた手を振り切ろうともがいている。

やがてそのままの形でドアがしまり、賊の手はそのドアにはさまってしまった。そのまま発車したら、彼は引きずられ大事故になる。これを見て、先に降りていた賊の一人はドアの隙間から掏り盗った財布を投げ返した。Sさんも賊の手を離してやり、財布は無事もどったという。

話を聞いて、わたしはSさんの勇気に感心したが、同時に手慣れた悪党とはいえ、賊一味の臨機応変の見事さは、さすが〈走る〉民族だと思ったものである。

デカルト哲学の伝統のなかにあるフランスでは、高校でも哲学の授業を設けるなどして、合理的な考え方を重視する国民であることはよく知られている。しかし一方では、国王を断頭台でギロチンにかけた革命や、その後の王制と共和制を繰り返した政変の目まぐるしさ、あるいは第二次世界大戦中の抵抗運動の激しさ等々、これらの事実からは、フランス人は単に考える国民であるだけでなく、行動する国民であると定義することもできよう。そんなことを考えながら、わたしはフランスでの出来事を想い出していた。

                    (平成二十五年四月作品)

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