《海外旅行随想記(2)》
大英帝国の光と影
昭和五十一年、われわれ教育研修団の一行約四〇人がロンドンで最初に泊まったホテルは、古色蒼然、いかにも歴史を感じさせる建物であった。しかし中に入ってみると、驚くことばかりであった。
第一、エレベータが故障していて、三階まで旅行鞄をひっさげて登らなければならなかったし、さらにシャワーを浴びようとバスに入ると、建て付けが悪くドアがよく閉まらないのである。見ると入り口に張り紙があって、
「このバスは改築したらいっそう悪くなった。これは工事請負会社の責任であり、当ホテルのあずかり知らぬところである」
という意味のヨコ文字が書かれてあり、請負会社の名前が堂々と記されていた。
日本では考えられないことであるが、そんな会社に頼んだホテルの責任はいったいどうなるのだろうか。しかし、どうもそれは工事を行った会社が負わねばならないとするところが、いかにも個人主義の国イギリスらしい考え方だと、つくづく文化の違いを感じさせられた。
それはさておき、心浮きたつ初めての外国旅行のなかで、このようなホテルの設備の悪さだけは今でも強く印象に残っている。思えば一ドル三百円時代、三週間のヨーロッパ旅行にしては、五〇万円は安すぎるのである。どこかに手抜きがあるのではないかと、旅行に先立って警告してくれた友人もいた。〈そうか、しわ寄せはホテルだったんだ〉と、そのときあらためて彼の言葉を想い出していた。
以後、その旅行中に訪れた国々でも、ホテルはすべて二、三流だったが、とくにイギリスのそれはひどかった。というのも、そのころ、イギリスはまだ戦後の経済不況のなかに低迷していたからである。
市内観光にでかけたとき、専用バスからロンドンの街を眺めると、ビルの至るところに〝TO LET〟(貸し屋)という看板が見られた。日本から付き添った添乗員によれば、ロンドンは不景気で、なかなか借り手が見つからないという。ついでながら彼によれば、以前案内した日本人観光客の中には、この表示を〝TOILET〟と間違え、
「なぜ、ロンドンではこんなにトイレが多いのか」
と尋ねた人もいたと打ち明け、一行を笑わせる。
午後、オックスフォード・ウェストミンスター・カレッジ校を訪問し、若い校長の話を聴いた。それによれば、現在、英国最大の関心事は
「いかにして働く意欲を高めるか」
だという。最後に
「とくに、若者の労働意欲の低下がこの国の不況をもたらしています」
と締めくくった。聞きながら、わたしは〈イギリス病〉という言葉を想い出していた。
当時、その言葉は世界のマスコミで流行しており、日本でもしばしば聞かれていた。第二次大戦直後、英国労働党内閣は〝揺りかごから墓場まで〟という福祉政策を実施したのだが、それに安住して労働意欲を喪失したイギリス人を揶揄した言葉であった。
だが、校長の言葉からは、イギリス人自らが彼らの病弊を自覚し、その回復の道を模索している様子もうかがわれ、新鮮な驚きを感じたことを憶えている。ちなみに、鉄の女サッチャーが登場し、強力な引き締め政策で〈イギリス病〉を克服するのは、それから三〇年後のことである。
カレッジでもう一つ印象に残ったのは、不況だといいながらも校内の設備はすごく行きとどいていたことだった。とくに、立派なテレビ室には何台ものテレビが並べられてあったが、それらはすべてソニー製品であった。その事実が校長の話に重なり、あらためて戦後いち早く復興した日本人の勤労意欲やメイド・イン・ジャパンの技術力を想起させ、われわれ一行の自尊心をくすぐった。
だが、それはいっときのことであった。
それから訪れたテムズ河畔沿いの国会議事堂やビッグベンの威容、そして世界中の文明と文化を網羅した大英博物館の桁外れの規模などをつぶさに見てまわると、メイド・イン・ジャパンの夢など消し飛んでしまった。いくら不況にあえぐイギリスといえども、何百年にもわたって培われてきた文明の底力は圧倒的である。ちっぽけに日本の比ではないことを、イヤというほど思い知らされた。
大英博物館を出るとき、同僚のOさんと交わした言葉を今でも想い出す。
「イギリス本国ではただ〈ブリティッシュ・ミュージアム〉というのに、なぜ日本人はわざわざ〈大〉なる冠詞をつけて、〈大英博物館〉と呼ぶのかな?」
「いつ、だれがそのように呼び始めたのかは知らないが、最初この博物館を訪れた日本人たちがその巨大さに驚いたからじゃあないかな」
彼らに〈大〉の文字を使わせたのは、明治以来、模範とした大英帝国への畏敬の念であったかもしれなし、悪くいえば権威におもねる西洋コンプレックスの表れであったかもしれない。いずれにしても、〈大〉なる修飾語を用いたくなるのも無理からぬと思わせるほど、素晴らしい博物館であることは確かであった。
にもかかわらず、わたし自身が驚いたことに、ここでは入場料が一切無料であった。膨大な資料の保全経費や運営費などは、すべて政府の補助金と一般の寄付金でまかなわれていると聞いた。病めるイギリス政府にしては英断である。
考えてみれば、植民地華やかなりし時代、世界各地から略奪した歴史的遺物や美術工芸品の数々を、入場料を取って見せたのでは世界が許さないであろう。ひょっとすると、イギリスは無料にすることによって、過去の植民地時代の贖罪をしているのかもしれない。
そのとき、大英帝国の光と影という言葉が頭をよぎった。光が強ければ強いほど、影はあらわになる―、そんな思いを抱きながら、わたしは大英博物館を後にしたのであった。
(平成二十五年三月作品)
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