サクラの下のモノローグ              安藤 邦男

 見たまえ。この平和公園のサクラ、いつ眺めても見事だろ。ほら、このサクラ、赤いね。なぜだかわかる? 人の血を吸ったからだというよ。え? 何だって。白いのもあるって? あって当然だよ。それはね、人骨から栄養をもらったからだよ。変な理屈、つけないでくれって? なるほど、戦後できた集合墓地だから、死体は埋まっていないかもね。でも、そんな話がまことしやかに取り沙汰されるのは、サクラと墓の組み合わせのせいなんだ。どちらも日常世界とはかけ離れたものだからさ、根元に死体があっても不思議はないよ。

 そういえば、梶井基次郎の短編に「桜の樹の下には」というのがあってね。サクラの根元には「屍体が埋まっている」というんだ。そう、知っているの? 梶井基次郎って作家はさ、病身で30歳で死んだけれど、神経が細かったんだね。作者の分身とおぼしき主人公は、あまりに見事なサクラに我を失いそうになった。そのとき、根元に死体が埋まっていると想像したら、やっとサクラの妖気から自分を取りもどせたというんだ。

 なに? そんな心理はわからないって? だめだねえ、想像力のない人間は・・・・。坂口安吾だって、「桜の森の満開の下」という物語を書いているよ。サクラのもつ魔性のせいで女は嫉妬に狂い、その女の命じるまま男は殺人鬼になるという話さね。

 え、 なに? 話の腰を折って悪いけどだって? なら、折るなよ。え? サクラの花粉にはエフェドリンという物質があって、幻覚作用をひき起こすのだと? 知らないよ、そんなこと・・・・。そんな考え、木の芽どきのせいというのと同じで、身も蓋もないじゃないか。美はハートさ。心にぐさりとくる衝撃さ。人を狂わせずにはおかないものだ。三島由紀夫が「金閣寺」を書いたのも、放火した青年僧の心に美に狂う人間の業を見たからだよ。

 なに? 自分は感受性が枯渇したから安心だと・・・・? だめだよ。出家した兼好法師だって、サクラの色香に惑わされたんだ。それを怖れたからこそ、自戒の意味をこめて「花は盛りを、月は隈なきをのみ見るものかは」と書いたのだ。兼好もまだ浮き世に未練のある、生身の人間だったんだよ。ましてや凡人のお前、いくつになっても業から自由になれないよ。

 月で思い出したんだが、西洋では美しい月光も危ないんだ。そうそう、満月で変身する狼人間の伝説が有名だね。だいたい狂人を意味するlunaticの語源は月の女神lunaだよ。

さあ、陽もだいぶ西に傾いたようだな。月の光りを浴びないうちに帰ろうよ。なに、なに?  帰りたくないって? ほお、赤提灯で一杯やりたいと・・・・? やっぱり、もうサクラの精気にやられちまったな。俺もだよ。お前がそう言うのを待っていたんだ。今宵はひとつ、狂い咲きでもしてみるか。

           (平成20年4月)

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