君の霊よ、安かれ        安藤 邦男


「今朝の2時36分、夫は召されていきました」

奥さんからの知らせは、妻がうけた。

「え? もう」という驚きと、「やはり」という諦めに似た哀しみが、五体をつつんだ。

平成19年11月16日の未明、親しい友人のひとりがまた逝った。

 その日の夕刻、前夜式があった。仏式でいう通夜である。中村区のI教会へ、妻といっしょに出かけた。

 受付をすませてホールにはいると、そこは100人ほどの参会者で一杯であった。すぐに賛美歌がはじまった。オルガンと信者たちの斉唱に合わせて、わたしは式次第に印刷された初めての歌詞を歌った。

 賛美歌が終わると式辞になった。恰幅のよい、50歳がらみの牧師が、よく通る声で、在りし日の故人の思い出を語りだした。

「Sさんは、何ごとにも信念を貫きとおす人でした。少しでも疑問に感じることがあると、徹底的に突きつめて考える方でした」

 聞きながら、思い出がよみがえる。

 ・・・・それは、大学の講義室。突然、一人の学生が立ち上がって意見を述べはじめる。われわれ1回生は、その物怖じしない態度を羨望の眼で眺めている。それが、Sさんを知った最初であった。以来、学生時代はもちろん教師になってからも、講演会などでSさんの質問の姿になんどもお目にかかっている。腑に落ちないことはどんな些細なことも、とことん追究せずにはおれない性格の人であった・・・・。

 牧師は、なおも言葉をつづける。

Sさんは自己主張も強かったが、いったん納得すると率直に相手の言い分を受け入れました。文字どおり、子供のような純粋さと素直さを持ちあわせた、心の美しい方でした」

 本当に、そのとおりだと思って聞いた。とくに奥さんには、いつも母親に対する子供のような態度で接していた。それで、思い出す情景がある。

・・・・それは、退職互助会主催の新年会。そのころは、Sさんもわたしも夫婦連れで参加していた会合である。「あなた、ここでは帽子をお脱ぎになったらー」室内でまだ帽子をかぶっている彼に、奥さんはわが子をあやすように語りかけていた。ハイと言って、それにしたがう彼、そこには夫唱婦随ならぬ微笑ましい婦唱夫随の夫婦があった・・・・。

追憶に心を奪われていると、いつの間にか牧師の式辞は、Sさんがキリスト教徒に改宗した核心に触れつつあった。

「Sさんとはなんども話し合いました。ときには激しく議論もしました。しかし一度決心されると、すべてを受け入れていただきました。入信の決め手となった動機は、『妻と同じお墓にはいりたい』というものでした・・・・」

 やはりそうだったのだ。その言葉を聞いて、この何ヶ月もの間、気にかかっていた疑問が氷解した。人間に最後の決断をうながすものは、理性ではなく、感情なのだ。思想ではなく、愛情なのだ。仏教徒の両親に育てられた彼が奥さんの帰依するキリスト教に改宗するには、並大抵ならぬ心理的抵抗があったことは想像に難くない。しかしそれを越えることができたのは、奥さんへの深い愛であったのだ。あの世でも、奥さんと同じ世界に住みたい、それがすでに死を予感していたSさんの一途な思いであったろう。わたしの回想は、Sさんとの最後の面会の場面を呼び起こした。

・・・・それは、Y病院の見晴らしのよい9階の一室。Sさんは奥さんと娘さんに付き添われ、身動きもならず無言のまま横たわっている・・・・。Sさんが肺がんの宣告を受けたのは、去年の5月であった。病巣は大動脈に隣接していて、手術ができない。けっきょく、Sさんは抗ガン剤と放射線の治療をえらび、通院しながらの闘病生活がはじまった。その間に奥さんの所属するキリスト教会に縁ができ、紆余曲折を経て半年後の12月、洗礼の儀を受けた。一時は完治したかに思われるほど元気であったが、今年に入り、夏も過ぎたころから体調をくずし、10月に治療のため入院。不幸にも、点滴中に脳梗塞を起こし、運動と言語の機能を失ってしまった。そして11月、お見舞いして半月も経たないうちに、Sさんは天国に召されたのである・・・・。

「移される前に、あかしされていました」

 最後に、牧師はヘブル書の中の言葉を引用し、式辞を終えた。召される前にすでにSさんには神の救いの手が届いていたのだ。受洗はそのあかしであったのだろう。

信徒たちの追憶の言葉が、いくつか述べられた。いずれも敬愛に満ちた言葉であった。一年になるかならないかの間に、このような強い絆で結ばれていたことに、わたしは深い感動を覚えた。それは彼の人徳であったのか、それとも神の導きであったのか。会場の雰囲気に呑まれ我を忘れているうちに、わたしは旧友として追悼の言葉を贈る機を逸してしまった。いまも、それが悔いとして残る。

それから奥さんの挨拶があった。悲しみのなかにも、感謝の気持ちが溢れた言葉に、参列者の席からはすすり泣きが洩れた。

前夜式は、飾花の儀式で締めくくられた。それぞれが一輪のバラを棺のなかに供える。そこには、つらい闘病生活から解放されたのであろう、Sさんの安らかな顔があった。その表情は、一足先に天国で待っているよと、奥さんに語りかけているようでもあった。

半月前に見舞ったときの様子が思い出された。あのとき、何を訴えようとしたのか、物言えぬまま見開いた眼、そして握りしめた手の感触ー、それらが一挙によみがえり、Sさんの顔が見る見るうちにぼやけていった。

   (平成19年12月作品)

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