中国よ、どこへ行く          安藤 邦男


北京・西安・桂林・上海・蘇州を巡る中国の旅に、妻と友人の女性2人と出かけた。5月27日(日)から6月3日(日)までの8日間のツアーだった。

天安門前の大広場、故宮博物館、万里の長城、兵馬俑坑等々、さすが中国の誇る世界遺産の数々は目を見張る素晴らしさだ。しかしそれらは紀行文にゆずるとして、今回は中国全体の印象を思いつくままに記すことにする。

初日、降りた北京空港でわれわれを驚かせたのは黄砂の大群である。たしかに飛行場は広いので、その果てが見えないのは当然であろうが、数台向こうの飛行機の輪郭がもう定かでないのである。日本にまで飛来する黄砂のすごさを目の当たりに見て、まず肝をつぶした。

次ぎに驚いたのは、車の多さだ。北京の道路は名古屋よりずっと広いが、すこし走るとすぐに渋滞にまきこまれる。むろん事故による渋滞(毎日のように事故車を見かけた)もあるが、本質的には車の激増である。ガイドによればこの数年で急にひどくなったという。いまでは1,500万の北京人口のうち、車は300万台、5人に1人がマイカーの持ち主という。

当然ながら付随するのは、排気ガスだ。夕方近く到着した上海では、小雨をまじえた曇天であったせいか、林立する30階建て、50階建ての高層ビル群はほとんど雲に隠れている。夜になっても、対岸のビルのネオンはほとんど霞んで見えない。名にし負う外灘(わいたん)夜景はまったくの評判倒れであった。ガイドによれば、ライトアップをくもらせる靄の半分は排気ガスによるスモッグという。

風物はさておき、中国人の日本人に対する態度はどうかというと、これがまたさまざまであった。事前の説明会で、中国人の対日感情はよいとは限らないと聞いていたが、旅行期間中に案内してくれた現地中国人ガイドは3人ともそれぞれ親切、説明は懇切丁寧であった。ところが一方、5回乗った中国国際航空のフライト・アテンダントたちの接客態度はまことにそっけなく、冷たくさえあった。無事に届けさえすればいい、とでもいうような事務的態度である。入り口に立つ男性の乗務員には、笑顔も挨拶もない。

「民営化されたといっても、社会主義体質は変わらないのでは

同席したツアー仲間はいうが、それもあろう。同時にそれだけでないような気もする。たとえば、セントレア・北京間の中国航空の乗客はほとんど日本人であるにもかかわらず、機内放送は中国語と英語だけで、日本語放送がない。女性のアテンダントも片言の日本語しか話せない。そこには、企業の損得を越えた原理が働いているとしか思えない。ひょっとすると、古き中華思想の片鱗が顔を覗かせているというのだろうか。

たしか、西安から桂林へ向かう機上だったと思う。座席前の網袋にあった中国語の雑誌を見ていると、珍しく英語の記事があった。題して「幸福とは何か」とある。だいたい次のような内容であった。

「自分が幸福と思えば、それが幸福である。自分の幸福を追求することに満足を覚えるならばそれはそれでよいし、人のために働くことを幸せに思えばそれでよい」

これは、素朴な快楽主義の幸福論といえそうである。唯物論の完全否定、中国はいま、社会主義を放棄しようとしているのか。

選ばれて日本に視察に行ったというガイドのSさんは、顔が爆笑問題の太田光に似ているだけでなく、頭の回転も彼に似て早く、ギャグを連発して笑わせる。

「中国共産党、よくありません。言うこととすることが違う。たとえば教育制度、それにいや、これ以上言うと、ヤバイからやめます」と笑いでゴマ化した。

「かなりの不満があるようね」と妻は言ったが、わたしにはむしろ体制に不平を言う自由があることを誇示しているようにもとれた。

先富論」という文字や、その類の表示板が、北京郊外や西安でしばしば見かけた。貧しい中国では《すべてが平等に》は不可能だから、《まず豊かになれる者から豊かになり、貧しいものを引き上げよう》という、ケ小平が20年前に唱えたスローガンである。しかし、富める者がこれほど富むとは、ケ小平さんには予測もつかなかったであろう。

先日見たNHK放送によれば、中国の株熱はすさまじく、何百億、何千億の大富豪を生み出したという。その話をGガイドに話すと、彼も株をやっているという。

「じゃあ、あなたも億はもっているね」とカマをかける。

「いやあ、何億まではいかないが、何百万円ぐらいじゃあないヨ」

「それならガイド辞めたら?一生喰っていけるんだから

「ガイド、楽しいから辞められないヨ」

そして、北京オリンピックが来たら株をぜんぶ売るという。どうやら中国人も、バブルの山場を感じているらしい。

上海をはじめ東の沿岸地帯では、月平均2,3万円から5,6万円が平均らしいが、なかには50〜60万をもらうサラリーマンもいるという。一方、西部の内陸部では月1万円ぐらいが平均のようだ。貧富の格差は、日本の比ではないようである。

ケ小平時代の第1段階の戦略《先に沿海地区を発展させる》ことは、立派に達成された。というより、必要以上に達成されすぎた感がある。第2段階の《西部開発を支援する》戦略を、はたして中国はこれからどのように達成しようとしているのであろうか。

(平成19年6月)

                                  自分史目次へ