わが人生の歩み(8)

  ー恩師工藤先生の著書と手紙ー        安藤 邦男

                   

文学部で二年目をむかえた昭和二十六年の四月から、わたしはN高校で週三日、英語の授業を受けもつことになった。月手当三千円也のアルバイト教師である。

教師と学生という二足わらじの生活に忙殺されていた間にも、世の中は動いていた。前年に勃発した朝鮮戦争の影響は、一部に特需景気をもたらしたが、一方では労働者や学生を中心に戦争反対の運動をひき起こしていた。

大学にも反体制の波がおしよせ、昼休みなどになると、自治会の活動家たちがオルグにきて、デモへの参加を呼びかけたりした。

「諸君! 米帝国主義者がはじめたこの戦争は断じてゆるせない。ともに立ちあがって反戦デモに参加しようではないか!」

しかし、彼らの絶叫調のアジ演説にわたしは自己陶酔のヒロイズムを感じ、共感できなかった。彼らに背を向け、わたしはひたすら自分の世界に沈潜した。遅まきながら本気で学問にうちこむ意欲が芽生えていたのである。

講座はどれも面白かった。とくに英文科の主任教授であった工藤好美さんの講義は、世界文学にしろ、シェークスピア講読にしろ、興味津々、飽くことを知らなかった。

それにもまして魅力的だったのは、工藤さんの文章であった。わたしがはじめて読んだ著書は、英文科学生のバイブル的存在であった「文学論」(注)である。もっともこの本は先輩から勧められてあちこち古本屋漁りをしたが、どこにも見あたらず、やむなく友人の一人を拝みたおして借りたものであった。

一読するや、たちまちその文章の魅力にとり憑かれてしまった。垂涎おくあたわずというか、一語一句にこころを踊らせながら読みふけったさまは、残り少なくなってゆくページを惜しみ惜しみ繰った、あのなつかしい少年時代の読書体験の再現であった。

感激したわたしは、三百ページを超すその書物をちくいち書き写すことにした。もしそれを自分のものとして購入していたら、わたしはそんなことは絶対しなかったであろう。そう思うと、友人に借りることになったわが運命に感謝せずにはいられなかった。もっともそのお陰で、そのころ書いたレポートや論文はすべて工藤好美スタイルになってしまい、一方ではこれは困ったことになったと悩んだことも思い出す。といってもむろん、工藤さんの深遠さには及びもつかない、ただ形だけの猿まねにしかすぎなかったがー。

工藤さんの叙述の特徴は、すべてのものを本質と原理から捉え、巧みな比喩と弁証法論理でその全体像を纏めあげることであった。どんな複雑な事象も工藤さんの筆にかかると快刀乱麻、みごとに整理され提示される。その論文は完成された芸術作品そのものであった。

その後もずっと、わたしは工藤さんの著書から、文学研究の方法はいわずもがな自分の生き方にいたるまで学ぶことになったが、とくにそのころ教えられたことのひとつに Profound Ignorance があった。それは、自分にとって本質的と思われるもの以外には「深き無知」をもって満足するという意味の言葉で、若き日の工藤さんの生活の信条でもあった。わたしはその言葉をわが身にも課し、政治や社会から隔絶した世界で、ひたすら芸術至上主義文学の世界に耽溺していた。

工藤さんが辞めるらしいという噂がひろまったのは、その年の秋もふかまったころであったと思う。原因は、外人教師の受けいれ問題であった。四月から、わたしたちは新しく来日した米人講師から自由英作文の授業を受けていたが、この人事は当時の日米交換教授の協定にもとづいたものだったという。しかしこの受けいれに、教授会や学生自治会が反対して、ひと騒動がもちあがっていた。

英文科の学生は工藤さんを引き留めるために、お宅まで出向いてお願いしたものであったが、工藤さんの辞意はかたかった。文学部長としての責任をとって辞めるのではないかと学生たちはいっていたが、わたしは違っていて、温厚な工藤さんはそのような政治がらみの運動そのものに厭気がさしたからだと思った。その年度の終わり、工藤さんは新しい天地を求めて神戸大学に転任された。在籍わずか三年、わたしが教えを受けたのは、そのうち二か年であった。

短いご縁ではあったが、その後わたしは二度工藤さんから手紙をもらっている。一つは卒論のポオに関する質問に答えてもらったもので、もう一つはある文学研究誌に掲載されたわたしの論文への激励であった。惜しいことにこれらの手紙は、数十年来の転居や家の新・改築もあって、どこかへ紛失してしまった。返す返すも、残念でならない。

だが、万年筆でありながら、墨痕鮮やかという表現がピタリと当てはまるその太くて暖かい書体は、師の温厚で誠実な面影とともに、いまなおわたしの脳裏に焼きついている。

(注)「文学論」工藤好美著・昭和二十二年・朝日新聞社刊

                          (平成18年5月)

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