雑事多忙の日々                          安藤 邦男


昨年三月、名古屋市鯱城学園高年大学を卒業した。それからもう一年近くになるというのに、以前にもまして忙しい毎日がつづいている。自分のしたい事、しなければならない事にまったく手がまわらない。日暮れて道なお遠し、の思いに駆られることがある。

「ほどほどにしたら? 体調が充分でないというのにー」
妻が心配するにはわけがあった。

「あなたの腎臓は三割しか動いていませんよ。七割は死んでいます。それが九割になったら、人工透析ですよ」
かかりつけの医大病院の医師におどされたのは、まだ在学中のことであった。以来、栄養士の助言にしたがって、蛋白質を極力減らし、おまけに数十年欠かしたことのない晩酌のビールもやめた。そのせいかどうか判らないが、身体が何となく変調をきたし、血液検査の結果は貧血と出た。これでは「角を矯めて牛を殺す」になりかねないと、自分勝手の判断で以前の食生活にもどしてしまった。その結果であろうか、最近の体調は以前の状態にもどりつつある。

「やはり禁酒が悪かったんだ」
妻はあきれた顔をしながらも、缶ビールにのびる夫の手を制止しなくなった。

それはともかく、卒業してはじめて知ったことであるが、高年大学のOB会は聞きしにまさる充実ぶりである。関係したクラスとクラブにはそれぞれOB会があり、それがほとんど毎週のように会合を設定してくる。ストレッチ体操のサークルも週一回あるが、これは健康のためだから休むわけにはいかない。

忙しさは外出のためだけではなく、家に持ち帰る仕事もかなりある。所属クラブの国際文化研究会OB会では、昨年から書記役を引き受け、毎月の行事の書類づくりが大変であった。この四月からは、健康学科OB会の幹事役も押しつけられ、旅行地や見学地探しの苦労がいまから思いやられる次第。

高年大学以外にも束縛の重圧がつづいている。ボランティアで始めたトワイライトスクールはもう一校増え、これまでの隔週の奉仕がいまでは毎週になってしまった。数年前に卒業した愛知県シルバーカレッジのOB会からも誘いが来るが、さすがにこれは断り続けている。

そんな日常へ、去年の暮れ、さらに大変な仕事が舞い込んだ。

名東区高年大学OB会で、毎年恒例になっている講演会の講師を探しているという。たまたま学区の世話役である妻がそれを聞いてきた。

「あなた、ボケ防止にやってみたらー」
「いまはそれどころでないが、ほかに誰もいなかったら考えてもー」

そう答えたのが運の尽き、適当な講師がいないというので、結局お鉢がまわってきた。一月末に、一時間三〇分の講演をすることになった。

講義からは五年間も遠ざかっており、果たしてうまくいくかどうか心配したが、なにはともあれことわざに興味をもってもらうよい機会だと考え、講演の草案づくりに没頭した。演題は少々気取って、「ことわざ文化の東西比較」とした。

講演会場は毎年、名東文化小劇場であるが、今年は県知事選の関係で使えないからといって、名東区の生涯学習センターになった。それがまた、禍根を残すことになった。会場が狭すぎるのである。所属するクラブの会員たちから傍聴の希望がきたが、収容しきれない。そこで二月、今度は古巣の伏見ライフプラザの教室で、もう一度同じ演題でおこなう羽目になった。

終わってやれやれ息つく暇もなく、いまは四月はじめに予定されているクラブ総会の準備に忙殺されている。早く雑事から解放されたいと念じながらー。

それに、もう一つあった。これは雑事ではないが、昨年末から近くのキリスト教会へ英会話の勉強に出かけていることだ。英語を忘れないためと、子供に英語を教える身、下手な発音では沽券にかかわるという意地もあって、本場仕込みの発音を何とか習得したいためでもあった。お陰で、毎週木曜日は午前が体操、午後はクラブの会、夜は英会話という、一週間でもっとも多忙な日になってしまった。

これでは、去年から進めていることわざ教訓事典の簡約版のための改訂作業もはかどらないわけである。ましてや、「さわやか」バックナンバーの電子化は、当分お預けにしなければなるまい。

                               (平成19年3月)

                                  自分史目次へ