お節料理のない正月 安藤 邦男
「もうそろそろひとりにひと流れの布団にしてはー?」と妻がいう。
「そうだな。ふたりでひとつの布団では窮屈だからな」
長男の孫は今ではもう高一と中一、二人とも女の子である。次男の孫は男と女であるが、こちらも小五と小一である。
子どもの成長は早いもので、会うたびに数センチは背丈が伸びている。高一に続いて中一も母親の背を追い越しているはずである。小五もそろそろ母親の丈に近づいているかも知れない。
そういうわけで、暮れの支度はまず布団の買い増しから始まった。
ここ数年、年末年始は二人の息子がそれぞれの愛車に嫁と孫二人を乗せてやってくる。われわれ夫婦を合わせると一〇人の大所帯となる。
息子たちが結婚したころは妻もまだ若く、正月の一週間も前から大掃除や寝具の用意などを済ませた後は、大晦日のぎりぎりまで食材を買い漁ってはお節づくりに精出したものである。それが年には勝てぬと見えて、いつの間にかデパートで重箱詰めのお節料理を注文するのが習慣になった。
しかし、それも孫たちにあまり人気がないと判って、これ幸いと妻はお節の注文もやめてしまった。近ごろは、レトルトの出来合いお節を形ばかり並べて、後はホテルのバイキングやレストランの豪華料理を大盤振る舞いするようになっていた。出費の方は大変だが、その分妻は楽ができるというし、彼らの受けもなかなかいい。
そこで今年もその伝で行くことにし、二家族八人分の夜具の用意をして、彼らの到着を待つことにした。
早々とやってきたのが、エチオピアに赴任中の次男一家。一時帰国による里帰りである。去年、出立の挨拶でわが家へやって来てから、半年ぶりの対面であるが、孫たちは目に見えて大きくなっている。それに、無意識であろうが、話の節々に英語が出てくるのに気づき、心身とも成長の早さにあらためて一驚する。
それはともかく、折角の休みを有効に使いたいというので、まずは近場の温泉で骨休め。しかしゆっくりできたのはその日だけ。次の日からは、運動もしたいといってバッティング・センターへ行くやら、小五の孫には電気店で約束の電子辞書を買ってやるやら、今評判のゲーム機Wiiを購入するために一家総出でスーパーの抽選会の列に並ぶやら、そのほかエチオピアへ持参するための買い物やらで、あちこち目まぐるしい移動に付き合うことになった。
そんな慌ただしい年の暮れも押し迫った晦日、夜遅く長男一家がやってきた。長年のサラリーマン生活を捨て、今年から独立した長男は昨日まで仕事に追われていたという。まずまず順調だというので、心配性の妻もひと安心する。その夜は三世帯一〇人がわが家で食卓を囲んだ。久しぶりに二人の息子と語り合いながら、したたかに飲む。
翌大晦日もまた、長男一家を交えてボウリングセンターから、レストランでの外食、デパートでの買い物など、動き回ることで日が暮れた。
気づいてみればお節料理も用意できていない。せめて新年はお屠蘇とお節でというので、夕闇迫るなかをいつものスーパーへ駆け込んだが、レトルトのお節はすでに売れきれ、近くにある二店も見たがろくなものは残っていない。
「ま、いいさ。年越し蕎麦さえあればー。正月はお節だけじゃあないよ。みんなで楽しめばいいんだからー」
そういって、がっかりしている妻を慰める。
「そうね、子供たち中心だから、しょうがないわ。でもお陰で、私の方は楽できるわ」
夕食後、四人の孫たちは、新しいゲームソフトで大型液晶テレビを独占している。紅白歌合戦も彼らの眼中にないらしい。大人たちはそれを眺めながら、ワインとコーヒーを楽しんでいる。
かくして、新年のカウントダウンを迎えた。
元日は暖かな陽射しのなか、一同神明社に初詣し、二家族はそれぞれ嫁の実家へと移っていった。
やれやれ、やっと自分だけの時間が持てた。寂しさよりほっとしたというのが実感である。これも歳のせいだろうか。そうだ、静かな音楽でも聴きながら、久しぶりに棋譜でも並べるとしようか。
(平成19年1月)
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