第三話 二本の糸                     安藤 邦男


「あなたは人を捜しているのだね。めぐり会えるかどうかはわからないが、その人は先生をしているよ」

天眼鏡を手にした男はハッキリそう言ったという。妻がまだお下げ髪のころ夜店の並ぶ街角で、軽い気持ちで路傍の占い師に観てもらったときの話である。

それから何年か経ち、妻は教師であるわたしと知り合い、結婚した。そのとき、妻は占い師の言葉を想い出し、彼のいった《捜している人》とは、いま新しく夫となったこの人のことであったかと思いなおしたという。

「あなたとは、ずっと前から赤い糸で結ばれていたのね」

《赤い糸》という、いかにも少女趣味の言葉を口にしたとき、新妻は少し恥ずかしそうに頬を染めた。

だが、妻が遇えるかどうか占ってもらった相手とは、実は彼女の異母兄のことであった。

妻の亡き母は初婚に失敗し、離婚したが、先夫との間に出来たまだ幼子の妻を連れて再婚した。別れた先夫には、前の妻との間に出来た一人の兄がいたのである。

妻は、母親から実の父のことやその兄のことは話に聞いていた。ときには会いたいという気持ちも起きたが、養父への気兼ねもあって、それは心に封印したまま、成人し、結婚した。その後、妻は風の便りで、実父は亡くなったが、兄は健在であると知った。しかし気にしながらも訪ねるすべもなく、何十年という歳月が流れたのであった。

その人の名前を発見したのは、夫の学校の同窓会が縁であった。

東海地方の実業界に隠然たる影響力をもっていたその同窓会には、いくつかの下部組織があり、その一つに教職関係者の集まりである「Kー談教会」があった。教育界に身を投じたものは少数であったが、それでも年に一度は会合に出席し、旧交を温めていた。

友人に誘われて初めてその会に出席したのは、たぶんわたしが公立高校を定年退職してからだったと思う。それから数年たったある年、先輩の一人が健康上の理由で退会するというので、会の席上みなで色紙に寄せ書きをしたことがあった。

帰ってから寄せ書きのコピーを見ていると、横から覗きこんだ妻が驚きの声をあげた。

「あれっ? ちょっと見せて!」

コピーを手に取った妻は、しばし絶句した。そこには、奇しくもその人の名、H・Kがあったのだ。それは、妻が子供のころに母親から聞き、長いあいだ記憶の底にとどめていた名前であった。

驚いたのはわたしも同じであった。年に一度顔を合わせていた同業者のなかに、妻の兄、そしてわたしにとって義兄に当たる人がいたとはー。《先生をしている》といった占い師には、このことが観えていたのだろうか。

早速、同年の友人にその人のことを尋ねた。数年先輩の人で、市立商業高校を定年退職し、いまはさる私立の専門学校で教えているという。だが、疑問があった。名前だけでその人が本当に妻の捜している相手だといえるか。同姓同名だって十分あり得るのだ。

次の会のとき、わたしはその人の間近にすわった。まっすぐに伸びた背筋からは長身を思わせる紳士で、眉はきりりとし、歳よりはずっと若々しく見えた。近況報告がはじまった。その張りのある声を聞き、その人と妻の顔とを重ね合わせながら、わたしはそれが妻の異母兄であることを確信した。

だが、そのときは話す機会もないままに、散会した。

帰ってからその人の印象を感じたまま伝えると、妻はそれでも念のためといって、自分の姉にたのんで先方へ電話をかけてもらった。その人も、継母、つまり妻の母のことを知っていて、妻の兄に間違いないことが判明した。

「ねえ、一度会ってみたいから、一緒に行ってくれない?」

妻は、ひとりで兄に会いに行くだけの勇気がなかったのだろう。

「そうだな、でも、いきなりはまずいよ。来年の会合で君のことを話して、会う機会をつくるから、それまで待ってくれ」

妻は、不承ぶしょう承諾した。

一年後、わたしは期待と緊張を胸に秘めながら、会合に出席した。会の始まる前、その人を目で捜したが、見あたらない。《今日は欠席かな》と少々失望していると、やがて司会者の挨拶がはじまった。

「最初、悲しいお知らせをしなければなりません。実は、この会に出席するとの返事をいただいていたH・Kさんが、数日前、心不全のため、急逝されました」

まさか! そんなことがあっていいのかと、わたしは自分の耳を疑った。断腸の思いであった。帰途、妻にどう切り出せばいいかと、そのことばかりを考えていた。

話を聞いた妻は、はじめは驚嘆し、次いで落胆したが、最後には生来の楽天的気性からか、
「でも、仕方ないわ。ご縁がなかったのよ」
と、ひと言いった。

あれほど会いたがっていた妻である。心のうちではさぞ無念であったろうと思うと、妻がふびんでならなかった。せっかく掴んだ出会いの糸口は、わたしが荏苒(じんぜん)と日を延ばしたばかりに、途中でプツリと切れてしまったのだ。

奇跡を幸運にするか不運にするかは、人間の対処の仕方いかんにかかっているとあらためて思う。それだけに、妻が以前に喩えたもう一本の《赤い糸》だけは、大切にしなければならないと心に誓うのであった。

                            (平成18年10月)

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