サイパン島玉砕後日談                      
  
  ― 「男たちの大和」を見て ―         安藤 邦男



先日、ピカデリー劇場で「男たちの大和」を見た。

さすが、尾道市の造船ドックに造られた原寸大の戦艦大和のセットが評判になっただけあって、空爆と魚雷を受けて沈没する巨艦の最後のシーンは、あの「タイタニック」にも比すべき凄まじい迫力であった。だが、それにもまして私の心を打ったのは、少年兵や下士官たちの悲惨な生態や死を前にした彼らの生々しい心理の描写である。

とくに肺腑をえぐるのは、生還した少年兵が戦友の母親に彼の死を告げる場面であった。母親の前に土下座し、ひとり生き残ったことを詫びる少年―、そして彼を許そうとせず非難の言葉を投げかける母親―、彼らの姿を見て私は怒濤のように胸にこみ上げるものを押さえきれなかった。

帰途についても、そのときの少年兵の哀しげな顔が脳裏から離れなかった。そして、いつか私は六十年前の出来事を思い出していたー。

昭和十九年の初春、父の弟である重三郎叔父に赤紙が来た。それまで奈良に住んでいた叔父は、すぐさまそこを引き払い、私の実家に近い親戚の家に寄寓。当日は本籍地であるわが家から出征することになった。

出征の前夜、何を思ったのか、叔父は持っていた日本刀を私に握らせ、
「親孝行して、家を守るように」といった。

四〇歳を過ぎてから招集された叔父は、にわか仕立ての訓練を済ませてから、新米陸軍少尉として金ぴかの軍服に身を固め、多くの人に見送られつつ出征していった。そのときの叔父の言葉と、日本刀のズシリとした重みは、いつまでも私の心に残っていた。

それから半年足らずの七月、サイパン島の日本兵が玉砕したというニュースが流れた。一か月前、サイパン島に上陸した米軍はあっという間に全島を制覇、陥落させたのだ。

叔父の戦死公報が入ったのは、それからさらに半年ぐらい後であったろうか。サイパン島玉砕者の中に、叔父の属する陸軍四十三師団が含まれているとの噂はやはり本当であった。

名誉の戦死ということで、叔父の葬儀はわが家で盛大に営まれた。遺族となった娘三人とまだあどけない男の子一人を連れた叔母の姿が痛々しく、参列者の涙を誘った。

あのとき、やがて起こった驚天動地の出来事をだれが予想したであろうかー。

終戦、そして失意の日々が過ぎた―。

一年ほどたったある日、役場から人が訪ねてきた。応対した母は言葉を失い、取るものも取りあえず叔母の寓居へ走った。

「叔父が生きていた!」

その夜、叔母はわが家で深夜まで両親と話し込んでいた。ときどき、興奮した叔母の声が私の寝間にまで届き、なかなか寝つかれなかったのを覚えている。

重三郎叔父の姿を実際に目にしたのは、それから数日後のことであった。よれよれのカーキ色の軍服と戦闘帽に身を包んだ叔父は、ひっそりと庭先に立ち、色づいた柿の実を無言のまま眺めていたー。

叔父生還のニュースはたちまち村中に行きわたり、多くの人が駆けつけた。聞けば、米軍の捕虜になっていた叔父は、元英語教師の特技を買われ、米軍との通訳をしていたという。その苦労話を聞いて、村人たちは叔父の労をねぎらっていた。だが、私の気持ちは複雑であった。一方では叔父の生還を喜んだものの、もう一方では何となく率直に喜べないものを感じていた。「生きて虜囚の辱めを受けず」の軍人精神はまだ私の意識下に残存していたのだ。多くの部下を死なせて、ひとりおめおめと帰ってくるとはー。そしてこともあろうに敵方に協力していたとはー。

その気持ちを察してか、叔父は私にサイパン島の思い出を一切語ろうとしなかった。また私の方にも、あえて尋ねる気はなかった。いま思えば、若気の至りとでもいうのだろうか。叔父の苦しかったであろう胸の内を理解し、受け入れるだけのゆとりが私にはなかった。

後年、叔母から間接的に聞いた話では、サイパン島上空を飛行機で旋回中、叔父の乗った飛行機は米軍機の攻撃を受け、海上に墜落した。何人かが海の藻屑と消えたが、たまたま機の出口付近にいた叔父は運よく脱出、近くの浮遊物に掴まり、海上を漂流した。ほとんど無感覚になり、気がつくと海岸にうち寄せられていた。あとで知ったところでは、そこはロタ島で、駐屯していた何人かの日本兵に救助された。高熱を発し、何日も死線をさまよった末、奇跡的に一命をとりとめたという。

ロタ島にいた二百名ほどの日本兵は玉砕を免れ、米軍の捕虜となり、やがて日本へ帰還しており、叔父もその一人であった。

激動の昭和に数奇な運命を辿った叔父はいま、味鋺の岳桂院の墓地で静かに眠っている。今年の彼岸には、叔父の墓前に花束を捧げ、叔父の冥福を祈るとともに、胸襟を開こうとしなかった自分の頑なさを詫びようと思っている。

                        (平成18年2月)

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