自立の好機 安藤 邦男
「もしもし、こちらボランティアセンターですが、奥さんがいま骨折されて、救急車で愛知医大病院へ運ばれました」
午後二時、友人の車でわが家の玄関に横付けをしてもらい、着替えて居間でくつろいだ途端の電話だった。
《帰る早々とはー。でも間に合ってよかった》というのが、正直な感想であった。
前夜、中学時代の旧友四人と蒲郡の温泉で一泊し、早朝ホテルを出発、友人の車で三河湾スカイラインをドライブした後、早めに帰ることにしたのが幸いした。
取るものも取りあえず、愛知医大救急センターに到着したのは三時を少々回っていた。
救急室にはいると、ベッドの上に顔面蒼白の妻が横たわっている。担当の医師はレントゲン写真を見せながらいった。
「左手首の橈骨(とうこつ・親指側の骨)と尺骨(しゃっこつ・小指側の骨)が完全に折れています。いまからすぐ手術をしますが、治るには三ヶ月はかかるでしょう」
後で妻から聞いた話によれば、その日、万博のボランティアとして長久手駐車場へ行っていた妻は、たまたま足の不自由な人を見かけた。車椅子を運びながら階段を駈け降りようとしたとき、履いていたスラックスがもつれ、階段を踏み外して転落。左手に激痛が走り、そのまま起きあがれなかったという。
この二年ほどの間に、妻は二度も転んで怪我をしていた。
一度目は、買い物に行く途中、舗道の四角い敷石が二センチほど持ちあがっていて、それにつまずいて転倒。顔面を地面にぶつけた。メガネを割ったが、さいわい目には怪我はなく、額をすりむく軽傷ですんだ。むろん手足は無傷であった。
「足を擦って歩くからだよ。もっと足を高く挙げて歩く練習をしたらー」
私の忠告を聞き入れたのか、以来、妻は歩くとき、足を引きずらなくなった。
もう懲りたから大丈夫と思っていたら、一年も経たないうちにまた二度目の事故をやった。その日、友人の見舞いに行った妻は病院前で市バスを降りようとした。そのときロングスカートに足を取られ、昇降口のステップと舗道の敷石の間に落ちて転倒。そしてまた直接顔面を地面にぶつけた。メガネは大破し、左顔面にかなり深い打撲傷と擦過傷を負った。その足で病院の診察室へ直行。見舞い客、変じて急患となる始末であった。
顔半分をガーゼで覆って帰ってきた妻に、私は言ったものだ。それがのちのち仇になろうとはつゆ知らずー。
「不思議だね。先回もそうだったが、どうして手をつかないの?だれだって顔をぶつける前にまず手をつくだろうにー」
そのときから一年少々で、三度目の怪我である。
「今度はあなたのご希望どおり手をついたわ。その結果はご覧のとおりよ」
と妻はやや皮肉っぽくいった。
「手をつかなかったら、頭が割れているよ。そうしたら今ごろはあの世だ」
「それはないわ。でも、足を折っていたらもっと大変かも―」
「そう、それに左手であったのも不幸中の幸いかな。しかし、骨太で鳴る永子がついに骨折とはねー」
気骨の女も、《寄る年波には勝てぬ》と見える。人との出逢いが楽しいとせっせとボランティアに通っていた元気おばさんが、いまは《青菜に塩》とすっかり意気消沈の態である。
あれから三週間になる。それにしても、結婚以来、自分の仕事以外は一切やったことのないほど女房依存症の亭主が、家事はおろか病人の付添や介護までやらされる羽目になろうとはー。
「主婦の仕事って、どんなに大変かわかったでしょ?」という妻に、
「いや、こんなに楽だとは思わなかったよ」
と返す私。あながち負け惜しみではない。介助のかたわら炊事、洗濯、掃除、ごみ出し、買い物にと精を出す主夫家業は、案外楽しいものである。
「じゃあ、わたしも安心して死ねるわ」
冗談をいいながらも、妻の顔はときどきゆがむ。ギブスで身動きもままならぬうえに、傷の痛みがいまだに退かないようである。それを眺めるにつけ、世話をされる身より世話をする立場の方がどれだけ幸せかと思ったりしている。
《禍を転じて福となす》ことができるかどうか、いまは未知数だが、今回の出来事はいざというとき困らないようにと、天が与えてくれた有り難い機会には違いない。
(平成17年7月)