わが人生の歩み(6) 

  ー 学生失格の烙印 ー
          安藤 邦男

私の中では、二つの自我が角逐していた。それは、ともすれば悔い改め、善良な学生にもどろうとする弱い自我と、そうしてはならぬと叱咤激励するもうひとつの強い自我との、飽くことなき格闘であった。「弱い自我」には、小学生時代に担任の先生などから期待された想い出や、苦しい生活をやり繰りする両親への申し訳なさの気持ちがつきまとった。「強い自我」には、敗戦のトラウマからアイデンティティーを失った「焼け跡闇市派」の必死の自己主張と、輸入デモクラシーの不条理を暴かんとする気負いとが同居した。

どちらの自分を選ぶのが正しいのか。しかし、どちらかを選べばどちらかを捨てなければならない。私には、どちらを捨てることも忍びなかった。では、両方の自分を生かす道はないか。だがそうすれば、二つの自分の狭間で永久に悩むことになる。それでいいのか。

何日も考えた。考えあぐねた末の結論は、それでいい、というものであった。悩むことこそ自分の求めていたもの、それこそ目指す真実の生き方というものではないだろうかー。

そしていつのまにか、わたしは自分の感じたことや悩んだことを、紙の上に書きつづることが将来の自分の仕事にできないかと考えはじめていた。その表れといえるかどうか、同年の暮れ、新聞部の友人に勧められるままに、生まれて初めて小説を書き、学校新聞に発表した。深刻さにはほど遠い内容のものであったが、思いのほか評判がよく、自分でも文才があるのかな、と一瞬浮かれ気分を味わったものである。

だが、それも束の間、きびしい現実が襲ったー、就職試験である。学生の多くはこぞって会社を受験し、次々と合格、有終の美を飾りつつあった。校内の雰囲気に呑まれ、私はある精糖会社に願書を出した。一週間後、書類選考で不合格となった。臆することなく、今度はある造船会社に挑戦した。だがこれもまた、一次試験で不合格となった。

二度とも、書類選考で不合格になるとは! いったい何が原因か? しかし、私の疑問はすぐに氷解した。二度目に届いた不合格通知の中に、学校の作成した成績証明書があった。そのころ、学業成績は教務部に聞きに行けば教えてもらえる仕組みであり、一度もそこを訪れたことのない私は自分の成績はまったく知らなかった。この三年間、一度も見たことのない成績表―おそるおそる開いてみて、愕然とした。なんと、「優」は英語だけ、あと「良」が二つ、残り二十数科目はすべて「可」と「不可」であった。最低の成績である。これでは、受かるわけはないと納得したものの、無性に腹立たしかった。授業を放棄し図書館に入り浸った日々を思えば、自業自得には違いない。俗な表現ながらあらためて理想と現実の乖離を思い知り、自分の三年間はいったい何だったのかと反省しきりであった。

その夜、この親不孝の息子は何も知らない両親に、就職試験にはすべて落っこちたことを話し、自分の覚悟を披瀝した。

「このままでは自分の将来はない。もう一度、勉強をやり直すために学校へ行きたい。授業料はアルバイトで稼ぐから、食わせるだけ食わせて欲しいー」と。

        (平成17年10月)

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