わが人生の歩み(4)

  ― 英単語帳を抱いて眠る ―
          安藤 邦男


旧制中学から進学できる旧制の高等学校や専門学校は、空前の狭き門となっていた。それまであった軍関係の学校はもはや存在しなかったし、その軍関係の学校から復員してきた学生が入学先を求めて大挙押し寄せていたからである。

一方、わたしを含めて中学生たちの学力は地に落ちていた。荒川惣兵衛さんの期待も空しく、英語を放棄していたわれわれには、ラジオから流れてくるカムカムおじさんこと平川唯一さんの英会話すらむつかしかった。数学にいたっては公式などほとんど忘れていた。二年に近い勉強のブランクが大きく響いていたのだ。

その中で、一頭地を抜いていたのは陸士や海兵帰りの生徒たちであった。将校予備軍としてのエリート教育を受けていた彼らは、とくに語学力や数学力に長けていた。フランス語やロシア語の知識を披瀝する彼らに、学業を放棄していた勤労動員組は羨望と劣等感の入り混じった感情を抱きながらも、ひそかに対抗心も燃やしたものであった。

それはともかく、難問がもう一つあった。進路先を理科系にするか文科系にするかの選択であった。苦渋のすえ、わたしは文科系を選んだ、というより選ばされたのである。生まれつき赤緑色弱であったわたしはすでに中学一年のとき、受験した幼年学校を色弱検査で落とされていた。当時、色弱はほとんどの理工系の学校から閉め出され、担任の先生の勧めるまま文化系を選ばざるを得なかった。本当は、数学は好きな科目であったし、生来物づくりの工学系が性にあっていると思っていたのだがー。

文科系を選んだからには、数学は思い切って捨てることにした。国語は、勤労動員中にも読みふけった改造社版「日本文学全集」のお陰で、何とかものになっていた。残るは英語である。だが、これが難物であった。

読解力というものは、長文をじっくり読むことで養成されるものだが、われわれにはその余裕はなかった。速成法として文法と単語で間に合わせる以外になかった。さいわい、中学一年のとき習った英語の先生の勧めにしたがって、辞書で調べた単語には赤鉛筆で線を引く習慣だけは身につけていた。収容語数約一万の辞典のなかで、その頃までに赤線を引いた単語は二千語ぐらいになっていた。だが、受験には英単語が五千は必要といい、不足は三千語。そこで、新たに購入した「英単語五千語集」を手にもって寝床の中にもぐり込み、眠る前の一時間を暗記に費やした。しかし、単調な単語学習は三十分もすると眠気を誘い、気がつくと単語帳を抱いたまま朝がきていた。いま思えば、よくも根気強く続けたものとわれながら哀れを催すが、その甲斐あってか、受験前には何とか五千語をマスターすることができた。

後年、塾の講師をしている友人にそのことを話すと、眠る前に覚えるというこの方法は、効果の高い睡眠学習法として、塾生にも勧めているという。記憶力に自信のない身が何とか英語を征服できたのは、期せずして実践した睡眠学習法のお陰であったかと悟った次第である。

昭和二十二年三月、数学を捨てていたものが通るはずもなかった一期校の第八高等学校を受験した。万が一の僥倖をたのんだが、ものの見事に失敗。気の進まぬまま受験した二期校の名古屋経済専門学校には、五人の同級生といっしょに運よくパス。さすがに合格は嬉しく、折しも満開の桜を級友たちと愛でながら、束の間の幸福に酔いしれた。来るべき専門学校時代がわが生涯最悪の三カ年になろうとは、つゆ知らずにー。

(平成17年6月)

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