わが人生の歩み(1)               安藤 邦男

  
 ― 大日本帝国が敗れる ー 

昭和二十年八月十五日の敗戦のとき、わたしは中学校四年生であった。

不思議なことに、わたしはこの日のことをよく覚えていない。通常であれば、いつものように勤労動員先の橋本工場に出かけていたはずである。しかし、そこで終戦の詔勅を聞いた覚えはない。ならば、その日は風邪か何かで休んで家にいたのだろうか。実際、その頃ひ弱なわたしはよく学校や工場を休んだものであったがー。いずれにしても、八月十五日は、記憶の中で空白のままである。

だから、いつ、どこで、どのようにして日本の敗戦を知ったのかも、定かではない。敗戦のショックで、回想のメカニズムが破壊されたというのか。それとも忌まわしい事件として、無意識が忘却の淵に封印してしまったのだろうか。中学時代の友人に聞けば、その日は工場は休みであったというが、わたしにはその記憶すらない。

不思議といえば、それに続く日々も実に奇妙であった。わたしには日本が敗れたという事実がどうしても信じられなかった。それまでの感覚からすれば、敗戦とともに大日本帝国という壮大な構築物は一大音響とともに崩れ落ち、地上から消滅するはずであった。しかし、何の異変も起こらず、昼は太陽がさんさんと輝き、夜はものみな静寂の中にあった。

九月になり、学校が再開した。

軍関係の学校へ行っていた生徒たちがもどってきた。よれよれの学生服を着たわれわれの前を、予科練帰りの生徒は新しい軍服姿でさっそうと歩いた。一年か半年の軍事教育が彼らをまったく別人に変えていた。御真影の奉納殿の前へ来ると、直立不動で挙手の礼をした。「恰好をつけるなよ」と悪童連は陰口をきいたが、彼らに面と向かってそれが言える者はいなかった。

やがて、授業では教科書のあちこちを墨で消す作業が始まった。
「いいかね、今からいう箇所を墨で消すのだ。だがこれは、占領軍の命令でするのだから、誤解しないように。これまで私の教えてきたことは間違っていない。君たちも間違っていない。大東亜戦争は絶対に正しかった」

ある歴史教師は、声を詰まらせながら言った。筆をもつわたしの手も、感きわまってふるえた。その教師を尊敬の眼で見つめ、大日本帝国は不滅だと心につぶやいたー。
それから何ヶ月経ったであろうか。ある日、墨を塗らせた同じ教師は淡々と語った。

「日本は大きな間違いをした。これからは民主主義の世の中になる。日支事変は侵略戦争だった。東條首相は戦争犯罪者だ。われわれも軍部にだまされていた。太平洋戦争で戦死した人たちは犬死にだった」

まだ覚めやらぬ「鬼畜米英」「忠君愛国」の精神構造の中に、突如、戦後民主主義の思想と極東裁判の価値観が注入されたのである。まさに、青天の霹靂であった。

                   (平成17年3月) 

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