若き日の読書の思い出               安藤 邦男


精神が飛翔し始める前の幼年期は、夢と現実が交錯する混沌の世界である。耳を澄ませば、子守歌のリズムに乗って母のおとぎ話が聞こえてくる。眼を凝らせば、紙芝居や絵本の中の得体の知れぬ魑魅魍魎が跋扈している。だが、彼らの姿は背景に溶け込み、輪郭も定かでない。

その世界を少し降り少年期にはいると、彼らの目鼻立ちがようやくはっきりしてくる。気がつくと、立川文庫や少年倶楽部の世界である。「猿飛佐助」「霧隠才三」「怪人二十面相」「のらくろ」など、子供の夢と好奇心をかきたてることでは、まことに懲りない面々である。

その群像たちのなかで、一際鮮やかに、そして懐かしく思い出される登場人物がある。巌谷小波の「こがね丸」である。小学校の教室で、今は亡き担任の先生から読んでもらった、親の仇を討つこの忠犬の物語に、子どもたちの血は沸き、肉は躍った。これが、改造社版「現代日本文学全集」いわゆる「円本」との出会いであった。そして、それはわたしの文学開眼でもあった。

1円で買えることから、「円タク」になぞらえて出来たこの「円本」という言葉は、今ではすっかり死語になっているが、わたしの子供のころはまだ生きていた。その「円本」全50巻を、紙の香りも新しいままに、わが家に疎開させてあった叔父の蔵書のなかに発見したときの驚きと喜びは、いまだに忘れない。そのときから始まった「円本」の乱読は、戦後叔父がその蔵書を引き上げるまで続き、そのほとんどを読み終えた。戦時の暗い少年期がなんとか救われたのは、この「円本」との付き合いのお蔭であった。

中学4年生で迎えた敗戦体験は、わたしの価値観を一変させた。信じられるものは、自分以外にないという絶望感が、現実から逃避させ、ニヒリズムと自意識の世界にのめり込ませた。そこでは、気質も作風も違う二人の作家、芥川龍之介と太宰治に耽溺した。この、完璧さのなかに人工美を構築する古典主義者と、甘えのなかに純粋を演出する破滅型の作家とは、ともに現実逃避の姿勢が共通し、そこに自分の生き方の師を見いだした思いであった。

大学では、アメリカの作家エドガー・アラン・ポウに傾倒した。推理小説の生みの親として、また近代批評の始祖として、明晰な論理を駆使したポウは同時に美と幽玄をうたう象徴詩人であり、神秘と超自然を愛する非合理主義者でもあった。このように相反する二つの資質がこの一人の作家のなかでどのように融合し、一体化されているか、そのメカニズムを明らかにすることが、近代詩と近代文学の解明につながるのではないかと思って、卒論のテーマにした。

しかし、ポウを始めとして、いわゆる世紀末の芸術至上主義文学は、甘美で洗練されてはいるが、それだけにあまりに人工的、唯美的でありすぎ、やがて次第に息苦しさと空しさを覚えるようになった。もっと広い社会や人生をありのままに描いたレアリズムの文学に、心惹かれるようになっていった。

そのような変化をもたらしたもう一つのきっかけは、教えをうけた英文学者の工藤好美教授であった。教授の名著「文学論」(朝日新聞社刊)から学んだことは、文学を本当に理解するには、それを歴史社会のなかに置いて見なければならないということ、そして文学には叙事詩や叙情詩という類型のほかに、古典主義や浪漫主義という様式があり、一定の類型が一定の様式と結びつくということであった。それは土居光知の文芸学やヘーゲル美学の世界でもあった。この壮大な世界を知った後では、もはや世紀末の狭い世界に閉じこもっていることはできなかった。

おりしも、大学を出て教師の道を歩みはじめたが、世はまさに民主化運動のまっただ中にあった。とくに教育界では意識改革の必要が叫ばれ、生活記録運動や綴り方運動が隆盛をきわめていた。文学の世界では国民文学の待望論が論壇をにぎわしていた。芸術至上主義文学はおろか、レアリズム文学からさえも、わたしは次第に遠ざかっていった。この時期に書いた評論「生活記録と文学」が岩波書店の月刊誌「文学」に入選したが、この事実はわたしの興味がすでに虚構の上に成りたつ文学よりも実践に基づく記録の方に移っていたことを示している。

さて、このように想像の領域から自意識を経て現実の世界へという読書遍歴の過程・・・、当時のわたしはこれを自分の成長の証しだと自負していたのであるが、今ではむしろ感受性の枯渇にすぎなかったのではないかと思っている。      (平成17年1月)

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