元教師の思い出し手帳

風に舞う種子(2) 説いたり諭したり           安藤 邦男


物を教えるだけが教師の務めではない。ときには人の道を説いたり諭したりすることもある。だが、その言葉も風に舞う種子、しっかり受け止められ、まともに芽を出すことはまれである。ほかの雑種と交配してか、思わぬ変種の花を咲かせることがあるし、またスギ花粉のようにそれに接したものにアレルギーを引き起こすこともある。

教師になって初めて受け持ったクラスのOB会であった。

「先生は『悪友のすすめ』というのを説かれましたね」

「え! そんなこと言った? 言うはずないだろ、教室などで・・・」

生徒というものは、教科書に書いてあることはなかなか覚えないくせに、脱線の余談だけはよく記憶しているものだ。当の教師がすっかり忘れているというのにー。

「でも、確かそう言ったよね」と、隣席の友人に念を押す。

「言った、言った、確かにそう言った。」と、友人は続ける。

「なんでも良友というのは通り一遍の付き合いで、当てにならない。そこへいくと悪友は、たとえ地の果て地獄の底までも付き合ってくれる。『君たちも悪友になれ』って・・・」

「いまなら懲戒ものだね、この先生の言ったこと・・・」

「でもさあ、本当だよ。ここに優等生いるか? 先生を囲んでいるのは、悪友ばかりじゃないか」

悪友が悪友に語りかけていた。新任教師は怖いもの知らずである。

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *


ある学校で指導部の係りをしていたわたしは、問題行動を起こした生徒によくお説教をしたものである。

「囲碁に『三手読み』というのがある。初めに自分が打った手に相手はどう応えるか?それに対して三手目はどうするか、つまり三手先まで読んだ上で最初の一手を打つのだ。」

訓話の材料をそのころ熱中していた囲碁から取った。

「ディベートの仕方も同じだし、日常の行動もそうだ。自分の言動に対して相手がどう反応するか、さらにそれにどう対応するか。そこまで考えて行動をしたら、そんなに軽率な行動は取れないはずだ」

ところが、指導部の反省会で、ある後輩の教師が言った。

「それって、悪知恵の働く人間になれ、ということじゃありませんか。少なくとも計算高い人間にはなりますね。本当の善人は結果の損得は考えずに行動するものですよね」

もっともだと思って、その説教は止めにした。知識を与えるのはやさしいが、適切な教訓を与えることはむつかしい。まして、彼らの心を動かすことはさらにむつかしい。

                           *  *  *  *  *  *  *  *  *  *


2学期が始まったばかりの9月のある日、昼食時に緊急の職員会議が招集された。

「先ほど親から連絡が入ったのですが、×年×組のB生徒が自殺しました。」

教頭の声は緊張していた。続いて担任が、発見されたときの様子や日ごろの彼の性格などを説明し始めた。そして、遺書もないし、動機はわからないとつけ加えた。

動機と聞いて、ハッとした。ひょっとすると・・・、わたしの心臓は音を立てて鳴った。いや、まさか! しかし、絶対無いとはいえない。B君のクラスで話したことが、彼の自殺の引き金にならなかったという保証は・・・。


その前日、彼の教室に入って座席を眺めると、空席が目立った。

「4人も欠席だね。休み癖がついたのかな」

これから2学期が始まるというのに、こんなに欠席が多くてはと、心配が先立った。ここはひとつ、お説教でも始めるか・・・。

「今日休んだ人は、やはり自分に負けている。休みたい気持ちはわからなくはないがね。ぼくだって、学生時代、夏休みや冬休みの後は学校がいやだったけど・・・」

「同じです、先生」と、一人の女子生徒が挙手をした。

「わたしも中学3年生のとき、9月に学校がいやで、いやで、いっそ死んでしまいたいと思ったほどでした」

「ほう、でも立ち直ったね。それで思い出したが、××高校では、去年の9月早々、自殺した生徒がいたそうだ。でも、自殺だけは駄目だ。自殺するくらいなら、まだ登校拒否の方がましだね。努力すれば治るから・・・」

自分としては勇気を出せといったつもりであった。しかし、不用意に持ち出した自殺の話を、利発で、感受性の強いB君がどのように受け止めたかは、知るよしもなかった。

その日、親しい同僚を誘って行きつけの飲み屋へ寄った。

「そんな自殺の話ぐらいで、人間ひとり死ぬなんて、あり得ないよ」

同僚は慰めてくれたが、わたしの気は滅入るばかり、その夜はしたたかに飲んだ。

夜半、目覚め、トイレで嘔吐した。便器に真っ赤な血が流れた。翌朝、近くのM病院を訪れ、そのまま3日間入院した。病名は急性胃潰瘍、嘔吐による胃袋裂傷であった。

その後何年か、その事件を思い出すたびに自責の念に駆られ、胃が痛んだ。B君には申し訳ないが、ただ一つよいことといえば、入院のお陰で20年あまり続いていたヘビースモーキングに終止符を打ったことであった。

よわい40歳台の半ば、まだ残暑厳しきころの出来事であった。  (平成16年12月)

                                自分史目次へ