―元教師の思い出し手帳―
風に舞う種子(1) 褒めたり、叱ったり 安藤 邦男
好きな英詩のひとつに、ロングフェローの「矢と歌」がある。
天に向けて射た矢は遠くへ飛び去り、風に向かって囁いた歌もどこかへ消えていった。しかし何年か後、無くなったはずの矢は森の樫に刺さっていたし、歌は友の心の中に残っていた、というのである。
教室で教えた事柄や話した言葉も、この歌のように、いつまでも教え子の心の中に残ってほしいと思う。だが、現実はそうはいかない。しばらくは記憶に留まった言葉があったとしても、長い年月がたてばいつか消えていくものである。そして教師の存在自体が、彼らの脳裏から抹消されてしまうのだ。
しかし、ときには自分の蒔いたタネが教え子の心に残っていることがある。教師冥利に尽きると思うのは、そんなときである。
ある同級会の席上、貿易会社に勤めている教え子が言った。
「僕は英語が嫌いでしたが、先生のひと言でいっぺんに英語が好きになりました。お陰でいま、英語が役だっています」
「なに、なに?そのひと言って?」隣にいた彼の友人が割り込んできた。
「『お前がこんなに英語ができたなんて、知らなかったよ』というひと言・・・」
「それって、バカにしてるんじゃない」と、友人。
「そう、悔しさもあったけど、いちおう認められたからね。やっぱり嬉しかったですよ、先生」
学習指導の成功法は、褒めるにかぎるようである。
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女子クラスの同級会である。
「わたし、体操の時間をさぼって体育の先生にさんざん怒られたけど、担任の安藤先生は少しも叱らなかったわ。それでいっそう反省したの」とA子。
「そうよ。先生は叱らなかったから、みな先生の言うことはよく聞いたのよ」とB子。
「それはね、その必要がなかっただけだよ。その後で受け持った男子クラスは腕白坊主ばかり。しょっちゅう叱っていた」とわたし。
この女子クラスを担任したのはまだ独身時代のことで、実をいえば女の子を叱る度胸がなかっただけの話である。
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若いころのことだが、ある日、卒業以来何年ぶりかで、教え子が訪ねてきた。若い、きれいな女性を連れている。結婚したばかりだという。
「先生、僕を叱ったこと、覚えていますか?」
「ああ、覚えているよ」
忘れようにも、忘れられない事件であった。思い出すたびに、悔恨が胸を噛んだ。
「本当に、いろいろ迷惑をかけました。でも、あんなに真剣に叱ってくれたのは、先生が初めてでした」
受け持ってから半年後の9月、彼は高校を2年生半ばで退学した。夏休み過ぎ、遊び癖がついたのか、欠席が目立ち始めた。母親を呼び出したりして、何度も注意した。一度は、心配した母親がわが家まで訪ねてきたことがある。もっときつく叱ってくれと言う。
翌日か翌々日、学校で彼を特別室に呼んで注意した。反抗してきたので、大声で叱った。殴る寸前までいった。彼はそのまま学校を飛び出し、二度ともどらなかった。
母親が退学届けを持ってきたのは、それから1ヶ月ほど後のことであった。聞けば、ナイフを持ち出し、担任を殺し自分も死ぬ、と言って騒いだという。いまは落ち着いたから、当分、家庭で面倒を見たいとつけ加えた。
「ところで、いまどうしているの?」
「小さな運送会社を経営しています。こいつと一緒にですが・・・」
そう言って、可愛い奥さんの方に目をやった。
二人を送り出し、戸口で見送った。何度もふり返り、手を振っていた姿を思い出す。そしてその姿が涙で滲んで見えたことも・・・。
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教師の言葉は、いわば植物の種子である。しかしそれは、風に舞う種子である。どこに舞い落ちるかわからない、タンポポの綿毛のようなものだ。それでも、教師は語りつづける。いつか、どこかで、その種子が芽を吹き、立派に育ってくれることを夢見ながら・・・。 (平成16年11月記)
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