お見送りできなかった雅澄さん            安藤 邦男

 

じゅんこさんから、雅澄さんが自宅で亡くなっていたという知らせを受けたときのショックは大きかった。

去る六月十八日にお目にかかったときは、心なしか痩せられたという印象はあったものの、永訣を予感させるものは何もなかったからである。

その日は、じゅんこさんのお宅で〈なごやかタイム〉の例会が行われた。実はその一週間ほど前に、わたしは雅澄さんにホームページの資料を記録したファイルをメールで転送してほしいとお願いしておいたのだが、雅澄さんはUSBメモリーに転記し、それを手渡すと言って、わざわざ出席されたのであった。

いま思うと、あのとき雅澄さんは今生の別れを告げるために来られてのかもしれなかった。さもなければ、運命を司る神が最後の機会をわれわれに与えてくれたのかもしれないのである。

それから一ヶ月半を経た七月二十九日(日)、雅澄さんは遺体の姿で発見されたのである。

その知らせはその日の夜、じゅんこさんが南警察署から受けたという。わたしはすぐに、じゅんこさんから聞いた電話番号で南警察署へ電話した。

署の話や、その後じゅんこさんが入手した情報を総合すると、新聞や郵便物などが二、三日溜まっていることを変に思ったお隣さんが息子さんに知らせ、息子さんが家に入ってすでに事切れていた雅澄さんを見いだしたという。死因は熱中症らしいという。

 ぜひとも雅澄さんを親しくお見送りしたいと思ったが、通夜や葬儀の日程がわからない。

雅澄さんのお宅付近へ出向けば何かわかるかもしれないと、車のある若林さんと相談していると、じゅんこさんが近くの新聞販売店の電話番号を調べて知らせてくれた。早速店主に連絡すると、

「通夜や葬儀のことはわかりませんが、ただ親族の方の電話番号はわかっています。でもそれを教えることはできませんので、その方にあなたの電話番号を知らせて、日程などを教えてやってほしいと頼んであげますから、向こうからの電話を待ってください」

という返事だった。

だが、夜になっても電話はこなかった。通夜も葬儀も、おそらく身内だけのものでなかったろうか。残念ながら、遠くから雅澄さんの御霊に、哀悼の意を捧げるよりほかなかったのである。

想い起こせば、雅澄さんが胃がんの全摘手術されたのは何年前だったろうか。それ以後も元気に活躍されていたが、三年ほど前に奥様を亡くされてからは、めっきり老け込まれたようお見受けしていた。ついに今年の始めには、会員の説得もむなしく、自分史の会を辞められてしまった。

自分史の会としては、雅澄さんにはいろいろのお世話をしてもらっている。とくに毎月の例会〈なごやかタイム〉で会員の発表した研究資料を、雅澄さんのホームページに掲載してもらった功績は大きかった。

ホームページといえば、わたしも英語ことわざのサイトを公開している関係で、運営の悩みなど共通の話題があったし、細かなことで教えを乞うたことも多々あった。また読書会を始めたとき、雅澄さんに無料レンタルサーバーを紹介してもらったり、パソコンの調子が悪いときなど、修理してくれる人を紹介してもらったりしたこともあった。

しかしそのようなことは別にして、雅澄さんといえば、やはりエッセイの名手であったことを特記しなくてはなるまい。いつも身近に起こる出来事をとらえ、原稿用紙二枚程度の短編にまとめる力は抜群であった。新聞の声欄や生活欄にもよく投書され、流麗な文章には心温まる愛と感動が満ちあふれていた。

もうひとつ、雅澄さんには隠れた才能があった。写真である。いつも市内のあちこちへ出かけては季節の移り変わりをカメラに納め、メールで送ってもらった。とくに接写の花々の美しさは見事で、プロ並みの腕前だった。

思い出は尽きないが、雅澄さんは今、天国で愛する奥様と再会されていると想うと、残されたものには寂しさはあるものの心休まる思いもある。

心から、ご冥福をお祈りする次第である。

          (平成三十年九月)