自分史のすすめ

人生をもう一度生きるために

                   安藤 邦男

 自分史を書くことは、〈自分の人生をもう一度生きること〉だと、わたしは思っています。それを〈第二の人生〉と呼んでもいいかもしれません。ふつう、〈第二の人生〉というと、退職後の人生を指すようですが、わたしがここでいう〈第二の人生〉とは、そういう意味ではありません。

では何か。それは、〈第一の人生〉をもう一度やり直すということです。むろん、実際には、そんなことはできません。〈覆水盆に返らず〉で、一度したことは取り返しがつきません。

でも、現実にできないことも、〈文章〉の上ではそれができるのです。

〈第一の人生〉では、仕事にしてもレジャーにしても、日常の慌ただしさのなかで行われています。そこでは誰もが、いわば高速道路を目的地に向かって驀進する自動車のドライバーにならざるを得ません。沿線の風景が見事であっても、そちらへ目をやることはできないし、立ち止まることもできません。

しかし〈第二の人生〉で、もう一度同じ道を通ったとします。そして今度は、ドライバーではなく、乗客となってです。そうすれば、はじめ気づかなかった沿線の風景を楽しむこともできますし、気に入った街があれば、そこで下車し、つぶさに見学することもできます。

〈自分史を書く〉ということは、このように、かつて通った道をもう一度通るということなのです。すると、どうでしょうか。しばらく、皆さんも身の回りに起こったことをふり返ってみてください。例えば、あのときの相手の些細な言動にしても、なぜ彼があんなことを言ったのか、それに自分はどう感じ、どのように反応したかなど、あの場では気づかなかったことが見えてくるものです。

ただ、それだけではありません。見えてくるものは、自分の周りの状況から、さらにあの頃の家庭や職場の環境、もっとおおきくは社会や時代の背景などに及んでいくはずです。そのようなパースペクティブ(遠近法)を入手すれば、おのれの立ち位置はいっそう明確になるものです。

そして、これらすべてのことは、〈書く〉という行為を通してできるのです。つまりこの〈第二の人生〉では、人は自己を発見し、自己を再評価することができます。おのれの生きざまを確認し、将来の生き方につなげていくことができます。それは、〈第一の人生〉より、はるかに意義のある人生ではないでしょうか。

こんなに大上段に振りかぶっていうと、その道学者風表現に辟易される方がおられるかも知れませんので、もっと端的にいいましょう。〈書く〉ということは、何よりも楽しいことなのです。それは、喩えていってみれば、何年か後に、思い出の新婚旅行先を再訪するようなものです。あるいは、禁断の初恋の人に会いに行くようなものです。

思い出の地での思い出の経験―。そうです、皆さん。喜びも悲しみも共々に、もう一度自分の生き様を辿ってみてはいかがでしょうか。それが、〈人生をもう一度生きる〉ということなのです。

        (平成二十五年八月)