過労に気をつけよう         安藤 邦男

この夏はめずらしく雨ばかり続いていた。じめじめして鬱陶しいが、ほかの地方で続発している豪雨禍がここにはないだけ、まだましというべきか。

しかし、その日は珍しく朝から天気であった。気分も爽快である。夕方、涼しくなった頃を見計らって、妻といっしょに散歩に出た。コースはたいてい買い物を兼ねて、駅前の商店街を通ることにしている。

駅前近くにやって来たとき、なにか身体に異変を感じた。なんだろう。この感覚はこれまで、二、三回は経験している。

熱中症ではないと思う。されば低血糖か、そういえば昼食は食欲がなく、あまり食べていない。腹が減ったのかと思ったがそれだけではなさそうだ。過労だろうか、このところ舞いこんできた仕事で、毎日パソコンにへばりついているせいか。

どこかで休もうと思ったが、たまたまその日は、小銭入れの財布を持たずに出かけたので、店に入るわけにはいかない。スターバックスの店先には、きまって椅子が四つ五つ並んでいる。そこに座って休むことにした。

少々楽になったので、いつもの遠回りのコースは止め、最短距離で帰ることにした。地下鉄沿いの道をとぼとぼと歩き出した。ところが、十メートルほど歩いたところで、なんと足が前に出なくなってしまった。

「あなたどうしたの、顔が真っ青よ」

妻の声がしたが、気もそぞろ、足取りは這うようだった。

この通りには、飲み屋が列をなしている。たまたま一軒の店先に、テーブルとイスがあった。そこに倒れ込む。

そこの店主に教えられ、反対側の通りにあるモツナベ屋へ駆け込む。五時ごろで店はまだ準備中らしかったが、有無をいわせず客となる。妻はそのまま財布を取りに、家へ向かった。

取りあえず生ビールといって、カウンターに座る。若い店主のもってきたビールを一気に喉に流し込む。気付け薬としてはアルコールが最高、ようやく人心地をとりもどした。

店主は準備で忙しく働いている。客は誰もいない。ビールとつまみを前に、ひとりぽつねんとカウンターに座っていると、このところ忙しかった毎日が甦ってきた―。 

二つの出版者から、ほとんど時期を同じくして原稿依頼が舞いこみ、久しぶりに夜を日に継ぐ生活が続いていたのだ。

これには訳があった。話しはさかのぼるが、去年の九月、わが自分史の会の「なごやかタイム」で、わたしは「英語ことわざの教えるもの」という発表をした。その後、その草稿にさらなる例文や解説をつけ加え、一冊の書籍としての原稿を完成させた。

今年の三月、原稿の一部を見本としていくつかの会社に送り、出版の打診をしてみた。返事の多くは、出版界はいま不況につき、残念ながらお断りするというものであった。

「今度は最後の出版だが、どうやら自費出版になるかもしれない。そのときはよろしく頼むよ」

財布のヒモを握っている妻に、語りかけたものだ。

ところが、捨てる神あれば拾う神ありだった。全国的に学習塾を展開しているくもんの出版部門が送った拙稿の見本を見て、小中学生対象の別の仕事を依頼してきた。目指す本命の出版ではなかったが、小中学生の役に立つことにはまた別の喜びもあり、引き受けて仕事に取りかかった。

そんな矢先、思いがけないメールが飛び込んできた。辞書出版を手がけている開拓社が、先に送った見本原稿を読んで、当社の「言語・文化選書」の一冊として出版したいがどうか、といってきた。あれから四か月も経っており、半ば諦めていただけに二つ返事で話が纏まった。そして原稿には書いていなかった英語の原文をすべてのことわざにつけ加えたり、ページ数を調整したりする作業にとりかかった。

一つの仕事でも大変な中に、もう一つの仕事が加わり、それがもとでの最近の過労気味だったのだ。昨日は血圧も上がっていたし、おそらく腎臓病の指数クレアチニンも上昇しているにちがいない。

「もう歳なんだから、無理をしてはダメ!」

と、いつも妻がいうように、明日からの仕事はほどほどにしておこう。

両社とも、作業は今年中に済ませても、出版そのものは来年だといっている。それまではなんとしても命を持たせなくてはなるまいー。

そんなことを考えながら、わたしはひとり飲み屋のスツールに腰を降ろしながら、妻のもどるのを待っていた。

 (平成二十九年十月)