きみは永遠の星だった
安藤 邦男
まだ新緑の候だというのに、もう初夏の陽気だった。天気予報では、今年は暑くなりそうだという。
夕食後、妻とそんな話をしていると、電話が鳴った。妻が出て、わたしに替わった。
「もしもし、私、N高で担任していただいたY子の息子ですが・・・」
Y子の名を聞くや、わたしは案じていた事態が現実に起きたに違いないと直感した。果たして、その予感を裏づける言葉がつづいた。
「・・・今朝の八時に、母は息を引き取りました」
平成二十六年五月十九日のことであった。
その二十日ほど前、N高から恒例の同窓会のハガキが届いた。早速、Y子に電話した。今年も、彼女の世話で旧クラスの何人が集まるのか、確かめたかったからである。
嫁さんらしい若い女性が取り次いでくれて、かなりの時間待った末、ようやく電話口に出てきたY子の声は、いつもの聞き慣れた元気なのとは似ても似つかぬ、弱々しい、かすれ声であった。体調が悪く、今年は幹事役を辞したこと、少し前まで入院していたが、今は家で療養していること、来年よくなったら、またクラス会で会いたいことなど、息継ぎも苦しげに、ぽつり、ぽつりと語った。
言葉遣いにただならぬ気配を感じ取ったわたしは、直ちにクラスメートのS子に電話し、Y子を見舞う手はずを整えてくれるよう頼んだ。
翌日、S子のくれた返事によれば、Y子は電話口にも出てくれなかったし、見舞いの件は取り次ぎの家人に丁重に断られたという。わたしを含めS子のクラスメートたちは、彼女に会いたいというわれわれの気持ちを受け入れてくれなかったその態度をむしろ恨めしく思いながらも、彼女の快復を遠くから待つほかなかった。
息子さんからの訃報が入ったのは、そんな矢先のことだったのである。
翌日、わたしは妻をともなって、通夜に参列した。妻は、これまでY子の呼びかけるクラス旅行には、何度かわたしと一緒に参加したことがあり、彼女のことはよく知っていたからである。
「あなたを慕ってくれていた人が、つぎつぎ逝くのネ」
「うん、また親しかった教え子がひとり減ったー」
そんな話を交わしながら、北区の愛昇殿の門をくぐった。受付で、前夜の電話の主である息子さんとその奥さんにお悔やみの言葉を述べ、これまでY子がわがクラスのために献身的な世話をしてくれたことなど話して、感謝の気持ちを伝えた。
通夜は、身内と近隣の人だけのようであった。焼香が終わり、僧侶の退去した後で、息子さんは参列者にお礼の挨拶をした。
「去年の八月、長らく療養を続けていた父が亡くなり、その二ヶ月後の十月、母には胃ガンが見つかりました。スキルス性のガンでして、急速に悪化し、一時入院していましたが、最期は本人の希望により自然治療を受け入れ、わが家で看取りました。母は長年にわたる父の看病から、父に代わっての家業の仕事にと、本当にがんばり屋さんでしたー」
聞きながら、わたしはY子の生前の姿を思い出していたー。
彼女は、長らくN高同窓会の幹事をしていて、同時にわたしの担任した女子クラスの卒業後の世話役も引き受けていた。そして毎年、クラスメートを同窓会に呼び寄せ、その後でクラス会を開いてくれたりしていた。また、拙著の出版に際しては小規模ながら心のこもった祝賀会も開いてくれたし、傘寿のお祝いもしてくれた。そんな彼女の骨身を惜しまない尽力があったればこそ、わたしは歴任した他の高校の同窓会にはあまり顔を出さなかったけれど、N高の同窓会だけにはほとんど毎年出席したものであった。
だが、息子さんの話から、わたしはY子のプライベートな生活について何も知らなかったことを、あらためて痛感した。若くして病に倒れた夫に代わって家計を支えただけでなく、夫の看病と子育てという、いわば三重苦を抱えながら、彼女はそれをおくびにも出さなかったのだ。いったい、あの元気な明るさはどこから来たのだろうか。生まれついた性格なのか、それとも皆に心配をかけまいとする心遣いなのか。どちらにせよ、そこには彼女の人並みすぐれた優しさがあったのは確かである。そしてそれを証拠立てるかのごとく、Y子の祭壇の遺影はふくよかな微笑みをたたえていた。わたしは安らかな気持ちで、彼女の旅立ちを祈っていた。
しかし、最後に祭壇の前の棺に納められた遺体を拝顔したとき、わたしはそのあまりに変わり果てた姿に呆然となった。痛々しいほどに、痩せ細った顔には、生前の面影はまったくなかった。それは、Y子の闘病がいかに凄絶であったかを物語っていた。
そのとき、わたしは初めて気づいたのである。彼女がわたしの電話口に出てきたのは、最後の力を振り絞って、自分の声をわたしに聞かせたかったからではなかったか。そして来年良くなったら会いましょうと言ったのは、わたしに心配をかけまいとする必死の演技ではなかったか。翌日、友人のS子の電話にも出ず、見舞いも断ったのは、すでに死期の迫っていた彼女にはそれだけの力が残っていなかったためか。それとも、自分の痩せさらばえた惨めな姿を、親しかった人に見せまいとする最期の美意識だったろうか。いずれにしても、それまでY子の心情に思いを馳せるだけのゆとりのなかった己の迂闊さをわたしは恥じた。
わたしは、大声をあげて、彼女に詫びたい衝動に駆られた。
〈きみは、わが3Bクラスを支えてくれたかなめの星だったー。これからは天国から、永遠に輝く星として、われわれを見守ってほしいー〉
心の中でつぶやき、わたしは遺体に両手を合わせた。突然、わたしは両の目蓋に溢れてくるものを感じ、見る見る彼女の顔がベールで包まれていった。
歳のせいで涙腺がゆるんだのではない、Y子への痛恨の気持ちがそれほど激しかったためであると、自らの心に言い聞かせながら、わたしは通夜の会場を後にした。