種々の言葉
芥川龍之介に『侏儒の言葉』という箴言集がある。〈侏儒)とは〈小人〉のことをいう。これを〈コビト〉と読めば文字通りの意味、〈ショウジン〉と読めば〈つまらぬ人間〉を指す。いずれにしても、芥川がおのれの言説をへりくだってつけた題名である。しかし中身は小人どころか、巨人の知恵に満ちている。それにあやかって、この拙文の題名を「種々の言葉」とした。発音は同じであるが、内容は月とスッポン、似て非なるものである。言葉について、日ごろ自分の感じたことを思いつくまま、無秩序に羅列したに過ぎない。
古人は人里はなれた山中で月を仰いで孤独を味わった。しかし現代人は孤独を求めてかえって見知らぬ群衆の中に入らなければならない。エドガー・アラン・ポオの短編『群衆の人』のようにー。そして「群衆は孤独者の家郷である」といったシャルル・ボードレールのようにー。
クローチェによれば、年代記は過去の記録であるが、歴史は現代の批判である。過去の記録をたんなる記録として学ぶことは、年代記を学んだことになっても、歴史を学んだことにはならない。歴史を学ぶには、現在への関心が不可欠である。
正しい批判は正しい価値判断でなければならない。そして正しい価値判断は十分な価値尺度をもってして初めて可能である。「人間は自分の持っている縄の長さだけしか井戸の深さを測ることはできない」とは、ショーペンハウエルの言葉である。
動物を一匹一匹識別する場合、類において人間と遠いものほど、その識別が難しい。例えば、チンパンジーには名前をつけることはできても、鳥小屋の鶏にはそれは難しい。水槽のメダカとくれば、まったく不可能だ。同じ人間でも、少年のころ出会った進駐軍の外人は、みな同じに見えたのには閉口した。年齢の隔たりについても、同じだ。子供の頃は、大人が皆同じに見えたものだが、最近は、若者たちの顔が区別つかない。「新人類」は文字どおり、中高年と類を異にしているのかも知れない。
人間は、まったく同質のものには少しも魅力を感じないし、まったく異質なものにも少しも心を引かれない。人間の惹かれるものは、同質でありかつ異質なものに対してである。 自分とまったく同じ人間がいるとしたら、魅力どころか嫌悪を感じるだけである。また、自分とまったく異質のものに対しては、エイリアンのように不気味さを感じるだけであろう。人間の惹かれるものは、同質であり、かつ異質なものである。その最たるものは、異性である。異性は、人間として性差を越えてお互いに同質である。しかし同時に異性は、越えることが出来ないほど、互いに異質である。男は女に似ているよりも雄猿にいっそう似ているという。女も同じである。だからこそ、男は女に、そして女は男に惹かれるのだ。
R.D.レインは『自己と他者』の中で、相補的アイデンティティーの考え方を提唱して、次のように述べる。「女性は子供がなくては母親になれない。男性は夫になるためには、妻が必要である。(中略)アイデンティティーにはすべて他者が必要である。」この言葉を敷延すれば、アイデンティティーの証明は自分ではできないということである。早い話が、自分の身分は、所属する会社なり、組織なり、自分以外のものによって証明してもらうしか方法がないのである。
不思議なことに、友人のB君はなんど失敗してもけっして自信を喪失しない。B君によれば人間が自信を失うのは、自己の限界を知った時だそうである。だから彼はけっして最善を尽くさない。最善を尽くして失敗すれば、それがおのれの限界だからである。B君はこれが怖いのだ。だから、十のうち八の力しか出さない。残りの二は土つかずで、彼自身もそれを出しきったときの結果を知らない。いうなれば未知数である。どうやら、彼はその力が無限であると思い込んでいるらしい。
学生時代、小林英夫教授に聞いた話では、エスキモー語には、「大雪」とか「細かい雪」とかいう言い方でそれぞれの雪を区別する言葉は多くあるが、「雪」そのものを表す言葉はないという。極寒の地に住むエスキモー人にとっては、それぞれの雪のあり方は互いに区別できても、雪そのものを差別化し、識別することはできないという。なぜなら、雪そのものを差異化するためには、雪でない世界を知らなければならないが、人間も、動物も、自然もすべてが雪の世界の中に存在するエスキモーの世界では、雪のない世界や雪の外にある世界など、想像や認識の圏外にあるからである。
英語のことわざに、今日をどのように生きるかについて教えるものがある。「毎日をあなたの人生の最後と思って生きよ」(Live every day as if it was your
last.)である。今日を最後と思えば、今日やるべきことを明日に延ばすことはできない。今日は二度と返らない。毎日を思い残すことのない人生にせよ、という教えである。これは、時間が無限にあると考える若者に与えたいことわざである。
もう一つの「今日」という日
もう一つ、英語のことわざには「今日は残された人生の最初の日である」(Today is the first day of the rest
of your life.)というのがある。未来というものは、今日の、この今の瞬間から始まるものだ。それは新しい、未知の人生の幕開けである。そう考えれば、誰の心も期待と勇気で満ちあふれるではなかろうか。これは、老い先短いと嘆く高齢者に知ってもらいたいことわざである。
空気と女房
女房は空気のようなものだということは、あってもなくても同じだとか、あっても無きがごとし、という意味ではない。無ければ困るというか、それどこらか無ければ生きていかれないという意味で、それは空気なのである。しかし、人間四六時中空気に感謝していたのでは、仕事にならない。仕事をするときは、仕事以外のことは忘れなければならない。その意味で女房は空気だというのなら、話は分かる。
鏡と夫婦
夫婦はなぜ鏡というか。ひとつには物理的な面からそれはいえる。人間はだれも後ろには目を持たない。したがって自分の後ろ姿は見えない。朝出かけるとき、背中についたゴミを取ってくれたり、頭髪の乱れを直してくれるのは、妻である。妻は自分の見えないところを見てくれる鏡である。
もうひとつは精神的な鏡としての働きである。つまり自分の心が鏡としての妻に映る。夫が明るくなれば、妻も明るくなる。夫が悲しそうにしていれば、妻も悲しそうにする。似たもの夫婦という言葉があるが、これは夫婦の気質が次第に影響され、似てくることをいっていると考えられる。
夫婦の凹凸
性格的にしっくりと一致するということは、そうざらにあるわけではない。ときどきまことに円満なカップルを見かけることがあるが、そこには長い年月の経過を読み取らなくてはならないであろう。夫婦の組み合わせを歯車にたとえるなら、最初から環境も性格も違う男女がうまく噛み合うはずはないのである。しかし長い共同生活のはてに、お互いの出過ぎた部分を削ったり、足らざる部分を補ったりして、やっと噛み合うようになる。歯車の凹と凸が一部の隙もないように噛み合うのが理想的であろう。しかしそれには辛抱強い忍耐が必要である。相手の凸と自分の凸とがぶつかりあってどちらも譲歩しなければ、どちらかの出っぱりが折れるか、両方が磨滅するかして、歯車の用をなさなくなるのがオチである。
オフ・リミット
終戦直後、わたしは現在の名古屋空港にあった米軍基地のPXで、アルバイトをしたことがある。そこでOFF LIMITS という看板をよく見かけたものだ。最初,この看板のかかった場所は自由に立ち入ることができる意味かと思った。というのは、辞書を引くとlimitという英語には〈制限〉とか〈限界〉とかいう訳語が当てられている。そしてoffは〈離れて〉という意味だから、
off limits は制限の無い状態を表し、フリーであり,立ち入り自由ではないかと思ったものだ。ところが実は逆で、〈立ち入り禁止〉の意味であった。
なぜか? 実はそこに、日本人の発想の根幹がかかわる問題があることを後で知った。
日本人はすべてのことを自分の置かれた環境、自分を取りまく情況から考える。〈義理〉にせよ〈恥〉にせよ、自分が世間からどう思われるかという観点から行われる。だから、limitは外の力が自分に加えた圧力であり、制限である。その外圧がoffとなれば,そこは自由の天国ではないか,というのが日本人的発想であろう。
ところが、個人主義的文化のなかに生活する英語圏の人びとは、あらゆることを自分中心に考える。そしてそこでは個人として責任を負うかぎり、自由に行動できる。ただ、当然ながら超えられない限界もある。それがlimitである。自分を中心にして外に向かい,壁にぶつかる限界がlimitと考える。その圏外は、自由の許されない領域、いわば危険な未知の世界、だから〈立ち入り禁止〉ということになる。
さて、このような日英の発想の違いをうまく説明するキーワードはないかと考えていたら、昔どこかで読んだことのある言葉が甦ってきた。それは〈求心性〉と〈遠心性〉という概念である。
求心性と遠心性
〈求心性〉とか〈遠心性〉とかいうのは、本来は物の動きを表す科学の用語である。〈求心性〉は外側から中心に向かって動く性質を示し、〈遠心性〉とはその逆に中心から外側に向かって進む傾向を表す。この用語を借りて、日英の発話の仕方を説明すると解りやすい。日本語は〈求心性〉の言葉であり、英語は〈遠心性〉の言葉であるといえる。
日本語の発話は、外側、つまり周辺から始め、中心に向かって収斂していく傾向を持つ。苗字から名前に続く氏名の書き方、県名や市名から始まって、名前が最後に来る手紙の表書き、所属する会社や肩書きから始める紹介の仕方、これらは、すべて個人よりも個人を取りまく周りを尊重する集団主義的性格にもとづく発話である。
言語におけるこのような発想・発話の仕方は、日本人が絶えず世間の目を意識する国民性と無関係ではないだろう。何か行動を決める場合の価値判断の基準は、自分の主体的判断によるよりは、世間的評判や義理である。つまり、思考経路が外側から内側へ向かうのである。日本語が状況依存の言語といわれるのも、このように周辺の情況から始める〈求心性〉の表れにほかならない。
ところが英語はどうかというと、ちょうど日本語の逆である。英語の発想・発話には、内側の中心から外側へ向かって展開する傾向が見られる。氏名は名前が先で苗字が後だし、宛名も名前から始まり、番地、町名を経て、県名、国名となる。中心から外への発想の仕方、これが英語の〈遠心性〉というものである。
否定疑問
この〈求心性〉と〈遠心性〉の発想の違いを如実に示す言語表現として思い浮かぶのは、英文法で扱う〈否定疑問〉、すなわち「・・・ではないか」という疑問文に対する応答の仕方である。英語を話す場合、日本人はこれが間違いやすい。例えばこうである。
「あなたは山本さんに会ったことはないでしょう?」
この質問にたいして、会ったことがなければ日本人は「ハイ、会ったことはありません」と答えるし、会ったことがあれば「イヤ、会いましたよ」と答える。
ところが英米人は逆である。会ったことがなければ「ノー、会ったことはありません」といい、会ったことがあれば「イエス、会いましたよ」という。
これはどういうことかと言えば、日本人は相手の意向に同調し、相手が否定で尋ね、自分も否定であればそれに合わせて「ハイ」という。しかし英米人は相手の質問の如何を問わず、自分が会ったことがあれば「イエス」だし、なければ「ノー」である。日本人は相手の立場から自分の応答の態度を決めるが、英米人はすでに決まっている自分の立場を相手に知らせるだけである。すなわち前者は外から内に向かう〈求心性〉であり、後者は内から外へ向かう〈遠心性〉である。
壁としての教師
壁は動かない、立っているだけである。動いて、人の邪魔をしたり、人を規制したりしない。しかし、壁を甘くみてはいけない。動かそうと思って、力一杯押しても、微動だにしない。下手にぶつかれば、怪我をするだけである。優れた教師とは、そんな壁のような存在である。そんな教師になりたいと、若いころ思ったものである。
十全の教師
十全という言葉は、完全とか万全とかの意味で使われる。しかし「十全の教師」という場合、それとは少々異なった意味を込めたい。
教師は一つのことを教えるのに、一つのことを知って繰り返すだけでは十分でない。一つのことを教えるには、その周辺の知識として十のことを知らなければならないという意味での「十全」なのである。のみならずそこには、単なる知識以上のものが必要である。あることがらについて知ることをそのまま教えるのであれば、機械にでもできる。教えることは理解させることであり、そのためにはまず教える相手に対して彼らの理解できる言葉で語ることが必要である。さらに教師は、彼らの知的好奇心を刺激したり、学習意欲を喚起したりして、自ら学ぶ態度を身につけさせなければならない。十全の教師とは、このように知識だけでなく精神面での指導もできる教師のことを指していう言葉でなければならない。
教育の外注
今日、少年非行が激増している。ある評論家は家庭が教育力を失い、知識偏重の学校や塾に依存し過ぎるからだと言った。また、ある評論家はこれを「教育の外注」と呼び、もっと家庭での手作りの教育が必要だと言った。なるほど、一面の真理はあるであろう。だが、一概に「教育の外注」といって、すべてを否定してよいものだろうか。確かに、昔は躾けを含めて、子供の精神教育は家庭で行われていたし、子供は親の背中を見て育ったものだ。しかし、読み書きソロバンをはじめとする知能教育は、家庭の外の寺小屋で行われていたし、家業を継がせる場合でも、一旦「奉公に出し」たり、「他人のメシを食わせ」たりした。だから「教育の外注」が悪いのではない。要はその中身である。非行問題の解決は、社会の価値観も含めて教育制度全体に関わる問題であろう。
個人の自由
人間は環境の中で生活している。そして環境は,ある意味で人間の自由を束縛するものである。自由とはどんな束縛もない状態と考えがちであるが、人間が環境の中で生きる以上は、そんな自由はあり得ない。では、自由とは何か。それは自分の周りにある抑圧としての環境、あるいは自分の前に立ちはだかる障害としての対象といってもいいが、そういうものに対して闘い、克服してはじめて入手できる力なのである。そのためには、対象としての環境に対する十分な知識とそれを思いのままと使いこなす能力とをもつことが必須である。
例えば、人は水の中を自由に泳ぐという。それができるのは水のもつ抵抗力の原理を知り、それを浮力に変える業を身体が覚えたからである。その能力がなければ、人は自由に泳ぐことはできない。また、ピアノを自由に弾きこなすという。それはピアノの鍵のもつ音程を知り、その規則性に沿って指を動かす技能を身につけたからである。その能力がなければ、人は自由にピアノを弾くことはできない。社会生活も同じである。成人に自由が与えられるのは、社会の法律や慣習、あるいは人間関係の諸側面など、取りまく環境への知識とその環境のもたらす制約を乗り切るだけの能力と責任を身につけていると見なされるからである。つまり、個人の自由は、自らの力で獲得しなければならないのである。
歴史の中の自由
しかし自由は,ただ個人の問題としてのみ存在するものではない。それは同時に歴史的問題でもある。そして自由の問題を歴史的に考察しようとすると、そこには必然的に現代社会のもつ病理が浮かびあがる。
一般的に言えば、家族や地域社会の影響の強かった封建時代には、個人の自由はかなり制限されていたが、近代社会になるとそのような束縛は次第に弱まり、人々は自由を獲得しはじめる。だが、個別的に見れば、すべての人びとに自由が行き渡ったわけではなかった。
一部の特権階級は自由な生活をエンジョイすることができたが、都市の貧困層や農民は経済的な裏付けのないまま、新しい自由を享受できず、孤立感や不安感を増大させるだけであった。彼らには自由は名のみであった。その結果彼らはかつての貧しかったが安定した社会、不自由ではあったが権威によって保護された社会を求めるようになっていった。
ドイツの社会心理学者フロムが、「自由からの逃走」と呼んだのは、そのような現象である。そしてその人たちの精神構造を「権威主義」と名づけ、そこにナチズムの温床があるとした。
かくして自由とは、歴史的、社会的環境を除いては考えることはできない。今日の日本社会は、かつてのドイツと同じではないが、矛盾の増大する格差社会は現存している。そのなかで、若者たちは自由の問題をどのように解決しようとするのか。少なくとも、「逃走」だけはして欲しくないと思うのは、あの戦中を戦い抜き、与えられたものとはいえ戦後の民主社会を生き抜いてきた中高年の「自由に対する願望」ではなかろうか。《終わり》
(平成二十六年一月 ~ 年四月)