初めて裁判を傍聴する
安藤 邦男
今年の自然災害の被害は甚大で、その報道には「数十年に一度」とか「経験したことのない」という言葉が飛びかい、流行語になるほどであった。台風16号も、そんな豪雨禍をまき散らして去ったが、その翌日の九月十七日は、嘘のように爽やかな秋晴れとなった。
この日、私が参加した行事は、その流行語をあえて使うならば、かつて「経験したことのない」珍しいものであった。むろん、形容詞は同じでも、中身はま逆、この上もない好機、幸運であり、私の人生経験に貴重な一頁を刻んでくれたのである。
「今度の名東鯱友会の見学先は、検察庁と裁判所だって。滅多にない場所だから、いっしょに行かない?」
ある日、案内の葉書を見て、妻が私を誘った。
名東鯱友会とは、名古屋市高年大学のOBたちで作る組織で、年に何回か行事を実施しているが、妻も私もそのメンバーである。それまで触れたこともない司法の実態に興味を惹かれ、二人で申し込んでいた。それが当日だったのである。
地下鉄の市役所前出口に集まった数十人のメンバーは、出来町通りを東に向かって移動。国立病院を通り過ぎたあたりに、最初に訪問した「名古屋高等検察庁」があった。
通された六階の会議室は、南にテレビ塔を望む見晴らしのよい部屋であった。そこで、係官から検察庁の役目とか、裁判員制度の実態などの説明を受けた後、庁内を見学した。
まず案内されたのが取調室。テーブルをはさんで検察官の椅子と被疑者の椅子が向かい合わせに置かれ、検察官の横には、取り調べを可視化するためのビデオ撮影機が、それと判らないように設置されている。ここで、検察官は被疑者の取り調べを行うが、それは警察官がすでに行った取り調べを確認しつつ、求刑に必要な資料を確保するためだという。テレビで見る警察の取調室と違って、思いの外小ぎれいで、明るいのが印象に残った。
次に入った部屋は、驚いたことに異臭が立ちこめていた。見まわすと、林立する棚には段ボールや大型封筒がところ狭しとばかり、押し並べられてある。ここは、犯人の遺留品や押収品の保管部屋だという。盗撮用のカメラを仕組んだ腕時計や万年筆なども見せてもらう。一隅には、日本刀、金属バット、ゴルフクラブなどが雑多に立ち並んでいる。密輸品や違法所持品だと説明があったが、ひょっとすると殺人に使用された凶器も混じっているかもしれない。
訪れた最後の部屋には、犯人逮捕のための手錠、捕り縄、防弾チョッキなどが卓上に並べられてあった。オモチャでも、レプリカでもない本物だと思うと、誰もがなんとなく緊張し、触ったり、手に取ったりした。人気のアイテムは手錠、何人かが相手や自分の手に嵌めたりして、その感触を試していた。
能楽堂のレストランで昼食を摂った後、次に訪問したのは「名古屋地方裁判所」である。能楽堂から南に広がる官庁街の一角に、それはあった。
玄関のホールでしばらく待ってから案内された部屋は、この裁判所で一番大きいという法廷。百人ほどの傍聴席がある。そこに座って正面を見ると、映画やテレビでお馴染みの裁判席が見渡せる。裁判官席が三つで中央が裁判長、その両横に三人ずつ計六人の裁判員が座る椅子がある。その前には中央が書記官席、左右に検察官席と弁護人席という配置である。(文末の看取り図を参照)
若い広報官がやってきて、たまたま最前列に座った十数人のメンバーに指示し、それぞれ模擬裁判よろしく、法廷内の指定席に着かせた。裁判官席の三人は、用意されていた黒い法衣をまとう。黒衣はどんな色にも染まらない意味だという。
こうして本物らしい法廷の雰囲気を演出してから、広報官は自分の父親が裁判員の候補に指定されたことを例にとって、裁判員制度の解説などを始めた。毎年十一月頃になると抽選によってまず千人ほどの候補者に手紙を出すという。その中から絞りに絞って、何人かが裁判員として選ばれる。大変な作業のようである。
大法廷を出て次に体験したのが、実際の裁判の傍聴だった。ちょうどこの時間帯には、刑事事件の裁判が二件行われていた。どちらもあまり空席がなかったが、妻も私も運良く、入室することができた。
最前列に空席が一つあったので、私はそこへ座った。教室ぐらいの法廷には、裁判長、検察官、弁護人がそれぞれ一人という、小規模の裁判だった。傍聴人は二〇人ほどである。
裁判はすでにかなり進行していたらしく、二人の警官に挟まれて証言台に立っていた被告人は、ちょうど右側の被告人席へ退くところであった。着席するとき、傍聴席の方を向いた被告人は、偶然私と目が合った。一瞬、なぜか私はドキッとした。先入観がそうさせたのだろうか。茶髪で、なんとなく遊び人風の中年男であった。
しばらくすると、検事が論告を始めた。被告人は二十数万円の窃盗を働き、しかもそれを賭博で使い果たしてしまったという。その罪は重いと述べ、禁固一年を求刑した。
対する弁護人は、被告はリストラされたという同情すべき境遇にあり、しかも初犯という事情を考慮すれば、一年の執行猶予つきが妥当だと弁護した。
判決は次回になるらしく、裁判長は検察官と弁護人の両者に諮って日取りをきめると、閉廷宣言をした。
これまで私は裁判を傍聴したことはなかったし、傍聴しようという気になったこともない。一つには、そのためには事前の申し込みやら、傍聴券の入手やら、面倒な手続きが要るものと思い込み、そんな苦労までしたくはなかったからだ。それに裁判というのは、強大な国家権力がいわば勧善懲悪の物語を演じるドラマの一種だという偏見もあった。正が悪を懲罰し、場合によっては死刑にさえするという権力の鉄槌は、どうも自分の肌に合わず、苦手意識が先立つのである。
だが、今回、検察庁の見学や裁判の傍聴をしてみて、私は既成概念の変更を迫られたように感じた。裁判所というと、厳めしい、何か気後れしそうな雰囲気があると思い込んでいたが、決してそんなことはなかった。
よほどの重大裁判は別にして、普通の裁判では事前の申し込みはおろか、服装の規定などもなく、いつでも、誰でも、自由に傍聴できるし、法廷への中途入退場も自由である。このような自由は、裁判員制度という民主化された仕組みがつくり出したものなのか、あるいはそれ以前からあったものなのかは知らないが、いずれにしても私にとって、これは新しい発見であった。
「いつかもう一度、傍聴席にすわって、初めから裁判の様子をじっくり聞いてみたいものだね。ただし、被告席にすわるのはご免だが―」
帰り道、妻にそんな冗談口を叩いた後で、私はすぐに後悔した。あのとき見合わせた被告人の目には、何かにすがりつきたいような、何かを訴えたいような表情があったのを想い出したからである。たぶんそれは、犯した罪の後悔か、将来への不安であったかもしれないと想像すると、新しい経験で興奮気味であった私に、ようやく茶髪男への憐憫の情がこみあげてきた。
(平成二十五年十月)