減量作戦
                     安藤 邦男

 

 「今朝はどうかしたの? もっと食べてよ」

 「もういらない。オレね、今までキミの言うこと、聞いてきたけれど、今日からは聞かないことにしたよ」

 この、いうなれば一種の宣戦布告に似た言葉は、最近、朝の食卓で妻に向かって発したものである。事ここに至ったのは、それなりの理由があったのである―。

 ある夜、例によってテレビの健康番組を見ていると、米やパンに含まれる糖分はエネルギーの元ではあるが、過剰に摂取するとその残骸が中性脂肪となって体内に蓄積され、心臓病や糖尿病の原因となるという。

 そんなことは今さら言われなくても判っていると思いながら聞いていると、話は糖分を減らす対策に移った。あるドクターは、食事の最初に野菜を食べるのがよいという。あるドクターは、最初は肉や魚のタンパク質を摂るのがよいという。その道の権威たちにも知見の相違があると見えて、思い思いのことを言っていた。

 「野菜にするか、タンパク質にするか、どっちがいいかな?」

 「どっちがいいという問題ではなくて、あなたの慢性腎炎にはどっちも悪いのよ。生野菜の中のカリウムがよくないし、肉や魚のタンパク質も摂りすぎは大敵。大事なことは、いろんな食材をバランスよく摂ることです」

 「それはわかるけど、バランス、バランスで、けっきょく量が多くなり、体重が増えちゃったじゃないか」

 ここ十年、わたしの体重は65キロをつづけてきた。それがどうしたことか、この数ヶ月は体重計が67キロを示すようになってしまった。

思い当たる節としては、秋口から体調がよく、食事も美味しいし、ティータイムには甘いものが多かった気がする。しかし、そんなことよりももっと大きな原因は、三度の食事の量が増えたことだと自分ながら思う。

 「ボランティア講演、大変でしょ。たくさん食べて体力をつけなきゃ―」

 そういう妻の言葉に乗せられて、このところわたしは言われるままに胃の腑を満たしてきた。気づいてみれば、2キロの体重増加である。

 「メタボで危険なのは中年の時よ。老人は少々太った方がいいの。ほら、テレビでも言っていたでしょ。いちばん長生きな人は、少々小太りだって―」

 妻の意見では、老人が痩せると風邪を引きやすくなり、風邪を引くとたいてい肺炎になる。そんな危険を冒してまで、痩せることはないという。

 「キミの知識は古いんじゃない? テレビでも太りすぎは一番危険というよ」

 「もちろん、太りすぎはダメ。でも、2キロぐらいは太りすぎではないわ」

 「でもだよ、そのお陰で足は重くなるし、膝も痛くなったし―」

 「それって、運動不足! いつもパソコンにへばりついているからよ」

 旗色が悪くなったので、わたしは論点を変えた。

 「キミは自分のご飯やパンの分量を減らさなくていいから、オレの分はこれまでの半分にしてくれ」

主食にしろ、副食にしろ、妻はいつも夫婦同量に盛りつけるので、三食ともわたしと同じ分量の食事を摂っていることになる。身長も体重もわたしよりずっと少ない女性にしては、過食でないかと思う。それでいて、ウエストも細いし、体重は5253キロを維持している。胃下垂型の女性に多いという、太らない体質かもしれない。

 「あなたと同じでなきゃ―イヤよ。あなたが減らしたらわたしも減らすわ。そうしたら、わたし痩せて病気になるかもよ」

その気はなくても、これは脅迫というべきだろう。ああ言えば、こう言う、〈敵はさる者、ひっかく者〉だ。わたしの減量作戦の前には、妻との論戦という難関が横たわっている。だが、同じ土俵に乗れば、負けるは必定、〈三十六計逃げるに如かず〉である。

かくして、勇を鼓して選んだわたしの作戦が、冒頭の宣言となったのはいうまでもない。

                      (平成二十五年一月)