ハイブリッド人間のつぶやき
安藤 邦男
(1)ハイブリッド人間の誕生
今年は戦後七十周年、八月十五日の終戦記念日前後には、テレビや新聞で多くの人びとが戦争や戦後についての思いを語ったり、書いたりしていた。わが自分史の会も、八月作品として「戦後七十年」の作品を特集したし、また先回の例会は「ござらっせ」に会場を移して、各自がそのテーマにまつわる十分間のスピーチをおこなった。そのとき、わたしは「ハイブリッド人間」という話題で話したのだが、じゅうぶんに意を尽くせなかったこともあって、ここでもう一度同じ題材で書くことにした。
近ごろ街には、ハイブリッドカーと呼ばれる車が増えている。いわずと知れたガソリンエンジンと電気モータという、原理的に異なる動力を組み合わせた最新式の車である。だが、このハイブリッドというカタカナ語、実は機械工学ではなく、もともと生物学の分野で、雑種とか混血とかを表すのに使われるラテン起源の用語である。
そこでわたしは、この言葉を本来の用法に則って、生き物である人間―つまりわたし自身ーに使ってみたいと思うのだ。といっても、わたしが混血児でないのは見ての通りだし、むかし英語教師であったからといって職業的にハイブリッドだというのでもない。
ところで、ハイブリッド人間というと、まず思い浮かべるものは「二重人格」―今では「解離性同一性障害」と呼ばれているーという異常心理のことであろう。古くは『宝島』の作者として有名なスチーブンソンが『ジキル博士とハイド氏』の中で描いたような、昼間は紳士であるジキル博士が夜になると悪徳のハイド氏に変貌するという人物像のことである。また現代でいえば、男性でありながら女性の心を持ったり、あるいは女性でありながら男性の心を持ったりするという、「性同一性症候群」と呼ばれる異常心理も想像される。
だが、わたしがここでいうハイブリッド人間というのは、そのような病理学的な異常心理の持ち主のことではない。では何か。ここで登場するのは、あの戦前と戦後を分かつ分水嶺ともいうべき終戦記念日である。この日を境にして、教育は軍国主義から民主主義へと百八十度の転換をした。しかし民主主義教育を受け入れるには、当時の中学生はあまりにもそれまでの軍国主義教育の影響が強すぎたのである。心中には二つの真逆の思想が渦巻き、衝突し合っていて、その角逐を通して彼らは人格形成を行なわなければならなかった。この世代を、わたしはハイブリッド世代と呼ぶのである。
この世代はいうなれば軍国主義という台木に、まったく種類を異にする民主主義という穂木を接ぎ木されたようなものである。そしてこのハイブッリド世代には二種類の人間がいる、というのがわたしの考えである。
第一の種類の人間は青年期後期の成熟段階にあったため、接ぎ木をうまく台木に合体させ、一本の立派な成木になっている。この種の人たちは、ハイブリッドカーがそうであるように、安定感もあるし、行動力もある。
しかし、第二の種類の者は、その台木が未成熟な青年期前期という段階にあったため、悲しいことに接ぎ木を受け取って一体化させるだけの力がなかったといえる。なかには、接ぎ木の重圧を受けて枯死した台木もあった。
わたし自身は、この第二の種類の人間に属していた。幸い枯死はしなかったが、多くの若者がそうであったように、異なる動力源をうまくかみ合わせる才覚も意志もなく、日光や風雨を避けながら栄養不良の雑種として中途半端な生活を送ることになっていった。
むろん、わたしの理性は民主主義を歓迎したが、心情的には全面的に受け入れるのが困難であった。民主主義をもたらしたアメリカ人の横暴な振る舞いや、民主主義を事も無げに受け入れた教師たちの無節操を見るにつけ、彼らへの反感は募るばかりであった。やがてわたしは人間不信や社会不信から、自我の殻に閉じ込もった。心の中には、水と油のごとく反発し合う思想と感情があり、それはやがてわたしの全人格に影響を及ぼしていった。
一方の自己が何かをしようと決意する。すると必ずもう一方の自己が反対して止めさせる。何かを正しいと信じるときも同じで、別の考えが頭をもたげてそれを否定する。二つの思想と情念の狭間で、自我は分裂せざるを得ない。優柔不断のまま、行動力を失ない、自意識だけが強くなっていった。そして人間にしろ、文学にしろ、健康で正常なものには興味を持つことができず、異常なもの、病的なもの、矛盾だらけのものだけが、わたしの関心の的になっていった。
(2)その後のハイブリッド人生
類は友を呼ぶというが、ハイブリッド人間は同じ性格ないしは体質を持った人間に惹かれるものである。かくして、わたしが魅惑のとりこになった相手は、まず、エドガー・アラン・ポオだった。
ポオの文学は二重性に貫かれている。彼は一方では計算ずくめの推理小説や『ユリーカ』のような科学的宇宙論を書いたリアリストであるが、他方ではその反対に『ヘレンに』『アナベル・リー』のような美しい詩を書き、美や夢幻を愛するロマンティストでもあった。人間としても、「悪魔と天使が同時に住みついている」といわれたほど、激しい二重人格の持ち主でもあった。ポオの中の二重性はわたしの中のそれと響き合い、わたしは卒業論文のテーマに彼を選んで、詩と論理の矛盾関係を追求した。そのときはまだ、ポオとの間に醸成された一体感は人目をはばかるひそかな関係として、自分の中で秘蔵されていた。
だが、工藤好美教授を通して知ったドイツ哲学者ヘーゲルの『美学』や『精神現象論』を読むに至って、わたしは自分の中にあった思想や心情の矛盾性に対する考え方が違ってきた。ヘーゲルの説く「正反合」の弁証法論理やその思想は、わたしの中の二面性を日の当たる場所へ押し出してくれた。わたしはもはや人目を忍ぶ日陰者でなくなった。
ある考え方を「正」とすれば、それに対立する考え方の「反」が生まれて「正」を否定し、新たに「合」という立場に統合される。そして「合」はさらに対立する考え方を生むというように、正―反―合のプロセスを繰り返しながら歴史は発展するし、人間も成長する。矛盾こそが、発展や成長の原動力なのだ。ヘーゲルの弁証法を唯物論に転用したマルクスも、生産力と生産関係の間に生じた矛盾が歴史を動かし、発展するとしているではないか。
こうして、自分の中にあって自分を苦しめただけでなく、ある意味では恥ずべき存在でもあった自己矛盾や自己分裂の二面性は、むしろ肯定すべきメリットとして受け入れられるようになった。
そして後年、わたしはことわざ研究に取り組んだ。ことわざは民衆の知恵から生まれただけに、様々な状況の中の様々な見方・考え方をもっている。「経験は最善の教師である」というかと思えば、「経験は愚者の教師である」というのが、ことわざのことわざたる所以である。また「便りのないのは良い便り」や「流行に逆らう者が流行の奴隷である」のように、常識を逆転させるものもある。ことわざは矛盾や反常識を意に介さない。それは物事を一面からだけでなく、両面から見る。これがことわざの視点であり、いうなれば複眼の思想である。
わたしは今、ことわざの知恵に学んで、何事も相対的に見ることにしている。一つの見方に対しもう一つの見方を照らし合わせることで、ものの正しい姿が見えてくると思うからである。
さて、こうして振り返ってみると、自分の一生はハイブリッド人間が辿ったハイブリッド人生だったとあらためて感じる。そして、多感な少年時代に民主主義という異物の洗礼を受け、その矛盾に苦しんだ青春時代が今日のささやかな幸せに繋がっているかと思うと、あの大きな犠牲を支払って手に入れた平和だけは永久に守らなければいけないと、心に誓うこの頃である。
(平成二十七年十一月)