幻想の水割り
あの出来事を、人は老人の錯覚と笑うかもしれない。しかしわたしは、何か不思議な力が造りだした正真正銘の事実だと信じたいのである。
場所はさるレストランの昼食会場、わたしは自分の席から立ち上がり、並み居る人たちに背を向け、ケータイで話中であった。
そのとき、お茶を注ぎに回ってきたウエイトレスに、
「グラスビアをひとつ」
と言い、ふたたびケータイに向かった。その会でビールを嗜むのはわたし一人なので、いつものように少々気の引ける思いをしながら注文した。
ウエイトレスはよく聞こえなかったのか、それともビールを英語流にビアといったのが通じなかったのか、一瞬、立ち止まって聞き返そうとしたようだ。だが、わたしがすぐに電話で話し始めたので、そのまま立ち去ったようであった。
これが、あの奇妙な出来事の始まりだったのだ。
その日、高年大学の同期の卒業生で組織する会の食事会が栄のレストランで行われ、妻とわたしを含めて十二名が集まっていた。食事をしながら、次回の行事の相談をするのである。
話し合いの結果、恵那方面にバス旅行をしようということになった。幹事役のわたしはその場で旅行会社にケータイで電話をし、日程や行き先の打ち合わせをした。
会場ではすでに食事が始まり、会員たちの談笑の声がやかましく、電話口の声がよく聞こえない。そこでいったん廊下に出て、先方と打ち合わせを済ませてから戻ってみると、自分の席にグラスが一つ置いてあった。
先ほど注文したビールかと思ったが、そうではなかった。中身は無色透明である。おそらくウイスキーか焼酎の水割りにちがいない。ウエイトレスが間違えたのは明らかだが、今さら取り替えるのも面倒だし、ハッキリ念を押さなかった自分が悪かったのだと、そのまま長電話で渇いた喉に一気に流し込んだ。冷たい水割りが胃の腑に浸みとおり、ほっと一息ついた。そして遅まきながら、料理に箸をつけた。
仲間たちはもうほとんど食べ終わっていて、わたしの電話の内容を待っている。ゆっくり食べる暇もなく、わたしは電話で打ち合わせた内容を報告しなければならなかった。
だが、先方と話しているうちに判ったことだったが、そのバス旅行の行程には、高原のウオーキングが入っていたのである。七、八月の暑さのなかを高年者が歩くのは、どだい無理だという皆の意見で、けっきょくそのコースは取りやめることにした。
その後は、今年度の行事をあれこれ話し合ったが、いずれも帯に短し襷に長しで、ついに決まらないまま散会になってしまった。
いったい、今日の会は何だったのだろうと思いながら、食事を楽しむどころか、幹事としての不手際のもたらした後味の悪さだけを味わっていた。じっさい、何を食べたのかも覚えていないほどだった。
レストランを出るとき、レジに寄って飲んだアルコールの精算をしようとした。食事代は割り勘ですでに前払いがしてあったが、追加の飲み物は自己負担だからだ。
係の女性は、やや戸惑った様子を見せながら言った。
「アルコール代ですか? 変ですねぇー、こちらには請求書が来ていないですよ。いったい何を飲まれましたか?」
「ビールを頼んだんだが、出されたのは無色の液体でしてねー」
「それじゃあ、焼酎の水割りでしたかねー」
ウエイトレスに聞けばわかるという思いは、レジ係も私も同じだったので、二人とも店内を見回したが、彼女らの姿は見当たらない。レジ係は奥へ引っ込んでいったが、やがて戻ってくると、クックと笑いながら言った。
「係の者はただ水を出しただけだと言いましたよ。水はタダですから、ご心配なくー」
「えっ? ただの水だって? おかしいなー。でも、そういえば、水割り焼酎にしては、少々水っぽいなとは思ったけどねー」
キツネにつままれたような気分だった。でも、考えてみれば、ウエイトレスはわたしの言った「グラスビア」が聞き取れなくて、「グラス冷や」とでも誤解したのかもしれない。
わたしは妻と店を出て、待っていた仲間に合流した。彼らに一部始終を話すと、爆笑の渦が起き、つづいて質問責めに合った。
「でも、アルコールだと思って飲んだんでしょう」
「そうだよ」
「で、飲んだあと、どうだったの? 酔ったの?」
「うん、身体が火照ってね、だからアルコールだと思ったんだ。でも、いま思うと、身体の火照りは長電話でイライラ、カッカとしていたせいかも知れないな」
「ねえ、奥さん、これからはビールをどうぞと言って、旦那さんに水を出しとけばいいんじゃない?」
誰かが混ぜかえす。
「その方が身体にいいか。でも、水をアルコールと間違えるようなことでは、もうオレもお仕舞いだな」
わたしは居合わせた友人たちの笑い声を後にして、妻と帰途についた。
そうは言っても、あれは確かに水割りだったという気もしていた。自分の味覚の衰えを信じたくはなかったのだ。そうだ!
ウエイトレスは水割り焼酎を出したのだが、それをレジに報告することを忘れていたので、問い詰められて水だと嘘を言ったのかもしれないではないか。
だが、そう考えるのは、老いのもたらす幻想だろうかー。するとそのとき、幻想はまた幻想を呼んだ。
あのときは、ひょっとすると伝説で名高い「養老の滝」の神様が降臨したのではなかろうか。そしてウエイトレスの出したただの水を酒に変えてくれたのかもしれない。
いや、いや、そう考えるのは身勝手すぎる。わたし自身が神様の恩恵を受ける筋合いはないのだ。あるとすれば、それは夫の飲み過ぎを心配する妻であり、彼女の夫孝行へのご褒美として、神様は酒でない酒、ノンアルコールの水割りを造ってくれたと考えたほうがいい。そのお陰で、わたしは妻の望む一時の断酒ができたではないか。目出度し、目出度しである。
そう思うと、あらためて妻への感謝の気持ちが湧いてくるのであった。
(平成二十七年八月)