電話機を買い換えたが―
長年使っていた電話機が壊れた。親機は使えるが、子機が作動しなくなったのだ。
日ごろ、一階には妻、二階にはわたしという風に、多くの時間を別々に過ごしている夫婦にとって、子機がなくては、はなはだ不自由である。
というのは、たいていの電話は妻宛てにかかるので、いつも妻が階下で子機を取る。そうすれば大半の用は済む。だが、子機がないと、二階にいるわたしは側にある親機を取らねばならない。そして、大声で妻を呼ばなくてはならないのだ。
妻もいちいち階段を上ってきて電話するのも面倒なので、子機の修理をするか、それとも子機を新しく買うことができないものかと、製造元へ問い合わせた。すると、わが家の機種は古すぎて、それに付属する子機はもうないという。考えてみれば、これを買ってから、すでに十年以上はたっている。
子機がないとなれば、もう一式を買い換えるしかないと、いつも電化製品を購入しているヤマダ電機に出向く。
売り場には、新しい電話機が何十種類も並んでいる。どれを買ったらよいか迷ってしまい、店員にできるだけ単純なものをと言うと、ファックスを使うならこの種類がいいし、子機付きが必要ならこの機種がいいと、いろいろ勧める。わが家では両機能とも必要なので、それに合う機種をいわれるままに購入した。
家に帰る途中で気づいたのだが、買った機種には子機が一つだけしかついていないのだ。
「しまったな。親機はオレの部屋に置くとして、子機は階下と寝室の二カ所に欲しいのに―」と、思わず愚痴ると、
「今まで使っていた親機は壊れていないんだから、あれを子機として寝室につけたらいいのよ」と、妻は事もなげにいう。
そうだ、あれを子機として使えばいいんだと、妻の思いつきに賛同した。
しかし、喜ぶのは早かった。家に帰って、早速新しい親機と子機を取り付けてから、今までの古い親機のコードを寝室のもう一つの電話コンセントに差し込んでみた。だが、壊れていないはずの旧親機はウンともスンとも言わない。
電話会社に問い合わせると、親機はランケーブルに接続しなければ通じないという。でも、わが家のランケーブルにはすでに新しい親機のコードがつないであって、もうつなぐ余地がないのである。妻の折角の思いつきも無駄になって残念だったが、子機は階下に一つあれば寝室にはなくても我慢しようかと、諦めることにした。
それはいいとしても、それからが大変だった。取扱説明書を読もうとしたが、字が小さすぎて老人にはなかなか読み取れないのだ。それに、説明の仕方も老化した頭には入りにくい。
しかし、ものは試しとばかり、気の置けない友人のところへ電話してみた。ダイヤルをプッシュして、しばらくしてもかからない。どうしてかと説明書をよくよく見ると、ダイヤルした後で外線ボタンを押さなければ発信しないと、書いてあるではないか。
なんて面倒なことだ。それに機能が多すぎる。電話番号を登録したり、迷惑電話を防止したり、呼び出し音を変更したり、親機、子機、外線の三者で同時通話をしたりなどと、便利かも知れないが、慣れるのにひと苦労である。
購入して約半月過ぎたが、いまだに使いこなせず、先日もスピーカーホンの音声を切り替えようとしたら、電話そのものが切れてしまった。
今日も製造元へ電話して、
「階下の妻に電話を切り換えたいが、説明書が不親切でよくわからない」
と苦情をいうと、女性のいやにやさしい声が返ってきた。
「親機から子機へ取り継ぐには、〈保留〉を押し、〈#〉を押し、最後に〈1〉を押してください。また、子機から親機へ取り継ぐには、〈保留〉を押し、〈#〉を押し、それから〈6〉を押して下さい。そして親機とつないだ後で、子機の〈保留〉を再び押すと、〈外線〉と〈親機〉と〈子機〉の三つの回線が繋がって、三者が同時に話し合えます」
彼女の話しぶりには、子供をあやす母親のような響きがあった。なるほどなるほどと、あいづちを打ちながら書き留める。わかった気にはなったが、おそらくしばらくすればこの複雑な機能は、扱うこともなく忘れてしまうだろう。
現代日本の複雑な文化には、もう老人はついて行けないものかと嘆いていると、「ガラパゴス」、「ガラパゴス」と、どこからかそんな声が聞こえてきたような気がした。
(平成二十八年六月)