果たしてできるか、大往生            安藤 邦男

                            
(1)老いの坂道

 先日の敬老の日のことだ。チャイムが鳴ったので出てみると、隣に住む民生委員のK夫人だった。

「米寿のお祝いです」

といって、白い封筒を渡された。驚いて、反射的に「えっ?」と、思わず声に出た。

「数えで八十八歳になると、市から祝い金が出るのです」

 そうか、まだ八十六歳だと思っていたのだが、市は数え歳で祝ってくれるのだ。お礼を言って、部屋で封筒を開けてみると、三千円がはいっていた。八十八年を生きたお祝いにしては安すぎるが、まあいい。たとえ三千万円をもらっても、これまでの年月に相応しいとはいえない。といいながらも、わたしは米寿という言葉の重みをかみしめていた。

「そうよ、あなたはもう若くないのよ。お若いですね、という言葉の裏には、歳のわりにはが、くっついているからー。喜んでいちゃあダメよ」

 妻の言葉は冷静であった。そうだ、もう若くない。わたしは急に足下に火がついたような焦燥感に襲われた。

 さらに、追い打ちをかけられる事件があった。以前から、「六病(むびょう)息災」だと虚勢を張っていたわたしだが、近ごろ、もうひとつ病気が増えてしまった。まったく鼻が利かなくなったのだ。

 今年の春、一か月ほど風邪が長引いたことがあったが、そんな頃からトイレやキッチンの臭いが気にならなくなった。厭な臭いに敏感だったわたしは、そのことはむしろありがたく思ったが、気づいてみれば、コーヒーや味噌汁のいい匂いもしないのである。そして食べ物の味は半減である。今に治るかと待ち焦がれても、病状はいっこう好転しない。

 思いあまって、近くの耳鼻咽喉科を訪れた。医者は鼻孔に器具を入れて覗いたり、超音波で調べたりした。

「半年も前からですって? ひどいですねぇ。なぜ、もっと早く来なかったんですか」

「風邪が治ったんで、鼻も自然に治ると思っていたのでー」

「放っておいて、老眼が自然に治りますか? 難聴が治りますか? 鼻も同じです。鼻の神経が切れていますから、もう手遅れです。あなたの嗅覚障害は一生治りませんよ」

「えっ? 一生?」

 頭をガ―ンと殴られたような気がした。

「手術をしても治りませんか?」

「手術は若ければできるが、八十六歳では、もうムリ、ムリ」

 突き放したような口調だ。そして三週間分のビタミンB錠を処方してくれた。

 これは気休めだ。その晩、思わず妻に愚痴がでた。

「あの医者の態度は何だよ。『お前みたいな歳になったら、鼻が利かないぐらいで、文句いうとはゼイタクだ。生きているだけで感謝しろ』とでもいってるみたいだ」

「医者に八つ当たりしてもダメ!」

 妻にたしなめられ、おのれの怠慢を医者に転嫁しようとする甘えた根性に、わたしは自己権をした。
 
(2)死への心の準備 ― 『大往生』を読んで思うこと ―

 隣の民生委員さんにはもう立派な米寿だといわれるし、耳鼻科の医者には全治不能の嗅覚だと宣告されるし、日頃の元気もどこへやら、落ちこんでいた。

 そんなとき、永六輔の『大往生』を読んだ。きっかけは所属する読書会で、次回読む本として指定されたからである。

 近くの公園にやってきた巡回図書館で、予約してあったその本を借りた。その場でパラパラとページをめくっていたら、こんな文章が目にとまった。

   八十を過ぎたら、なんだか医者の扱いに手抜きが見えてくる。

 そうか、あの耳鼻科の医者が鼻の手術を拒んだのは手抜きだったのか。さらに次の文章もあった。

   タフですねと言われるようになったら、身体に気をつけなさいよ。

 「いつも元気ですね」といわれて、悦に入っていた自分が恥ずかしかった。妻が言ったように、もう歳ですから気をつけなさいという裏の意味が読み取れなかったのだ。

   あの人はいい人だって言うと、その人はいい人になる努力をするんですね。 

 これ、自分のことかと思った。褒められ煽てられると、人はその褒め言葉に迎合し、期待を裏切らぬよう努力するものだ。「優しい人ですね」と言われて、わたしもそれなりの品位を保つようにしてきた。それはいい。ただ、続く一文がショックだった。

    それで早死にするんです。

 これって、期待させておいて、それを裏切る逆転の発想ではないか。ことわざの常套手段だ。西洋のことわざにいう「神に愛される者は若死にする」と同じだ。「憎まれっ子世に憚る」の反対である。なんとまあ、穿った見方をする本だ。でも、用心を呼びかけているのに変わりはない。

 さらに、皮肉な言葉がつづく。

   病人が集まると、病気の自慢をするんですよ。もちろん、重い人が尊敬されるんです。

   ある人は、ガンは人間の誇りにもっとも相応しいという。

 ガンはいわば百病の王である。盲腸で死ぬより、ガンで死んだほうが立派に見える。そんなガン細胞を体内に持っているだけで、人は名誉に思うのだろう。ましてガンを克服したとなると、この上もない誇りである。

 十数年前、前立腺ガンの手術ミスから生還したわたし自身も、ときどきそう思ったことがある。わたしが日ごろ口にする「六病息災」も、おのれの病気を自慢したい気持ちの表れかも知れない。

 さて、家に帰ってゆっくり読み始めると、この『大往生』には生老病死について、永六輔をはじめ、さまざまな人たちの名言が次々と出てくる。多くの人が自分の老と向き合い、やがて訪れる死を誠実に受け止めようとする態度に心打たれた。

 タイトルの「大往生」という言葉が、至るところに出てくる。

   当人が死んじゃったということに気がついていないのが、大往生だろうね。

 知らないうちに死んでいる、これは、わたしが理想としていた死に方と一致している。

 わたしの叔父は、朝起きて、夜中に飲んだお茶のセットをキッチンへ運ぶ途中の渡り廊下で、ひざまずいたまま事切れた。まさか死ぬとは考えたこともないままの死であった。この叔父のように死ねたら
いい、とわたしはつねづね思っていた。

 しかし、よく考えてみれば、こんな死に方は、本人にとってはいいかもしれないが、周りの者には大きな迷惑をかけることになる。死は本人だけでなく、後に残された者の問題でもある。

 突然死は、心身の不調によるものだけではない。地震、台風、交通事故など、死の危険は至るところにある。そんな死に遭遇したとき、家族はどうなるのか。その疑問には、次の文章が答えてくれる。

    アメリカの企業の責任者は八十五パーセントが遺言状を書き、

    日本では八十五パーセントが無関心だという。

    遺言状を書いてみると、自分が何を大切に生きているかも確認できるから、

    この本を読み終わったらすぐにでも(書きなさい)!

 しかし、いつも書こうと思いながら書けないのが、遺言状である。当時六十歳そこそこの永六輔も、対談している山崎章郎医師も、まだ書いていないという、なぜなら、まだ死なないと思っているからだとあった。だが、八十二歳で逝った彼は、もう死なないとは思っていなかったはずだから、たぶん書いていたであろう。彼の年齢をはるかに超したわたしは、「すぐにでも」書かねばならないとは思うのだが―、悲しいことに、なかなかできない。

    最後のときに頼るものは、海外では宗教が50%ですが、

    日本では半分以上が財産だという。

 多くの日本人は、たとえ遺言状を書かなくても、わずかながら残すべきものがあれば、それが遺族の支えになると思い、安んじて死んでいくかもも知れない。

 ただ、いまだに遺言状を書いていない身がいうのは、言い訳がましいが、私的な遺書めいたものは残してある。自分史である。エンディングノートほど整ってはいないが、家族や子孫はわたしのこれまでの生き様や気持ちを読みとってくれるはずである。それは、いわば心の財産である。

 永六輔が自分の父を偲んで詠んだ詩も、このこととは無関係ではないだろう。

    生きているということは

    誰かに借りをつくること

    生きてゆくということは

    その借りを返してゆくこと

    誰かに借りたら

    誰かに返そう

    誰かにそうしてもらったように

    誰かにそうしてあげよう

 人は生きていること自体に感謝するという。感謝は大切なことである。ただ、それは言葉だけであってはならないだろう。感謝に値することをしてもらったら、相手に感謝してもらうだけのことをしてあげようと、この詩はいう。感謝は言葉でなく、行為で表そうというのだ。生きているうちはそれができる。だが死んでいく自分のできることは何か。それは世話になった人に、自分の残したもののなにがしかを贈ることではないか。

 ところで人間は、病床にあっていよいよ死が目前に迫ったとき、どのように思い、どのような反応を示すであろうか。心を打つフレーズがいくつかある。 

    大往生というのは死ぬことではない。

    往って生きることである。

    西方浄土に往って生まれるのだ。

 なるほどと思う。生きることが死を見据えてのことならば、死ぬることは生きることの連続である。そのように悟ることができれば、いたずらに死を怖れることはないし、また宮沢賢治の詩にあるように、「死にそうな人があれば、行ってこわがらなくていい」と、勇気づけることができるだろう。

 ここに、死をまったく怖れていない人がいた。黒柳徹子の語る女優賀原夏子(かはらなつこ)である。

    ガンで亡くなった女優の賀原夏子さんは、『いよいよ死ぬと思うと

    ドキドキする、初めてのことって面白い』と仰っていたそうです。

 怖れるどころか、感動しながら死を迎えている。人間は、死だけは経験することはできないのだが、彼女は違う。死を経験として受け入れた上で、演技に生かそうとする、見事な役者魂である。何が彼女をそうさせたのか。彼女は「いよいよ死ぬと思う」といっているが、実は本当には死ぬとは思っていないのではないか。同じ疑問を永六輔も持ったようだ。彼は山崎章郎医師との対談で、こう尋ねている。

    自分が死を迎えるとき、『さあ死ぬぞ』と意識するものですか。

 山崎医師の答えは、およそ次のようであった。ある三十五歳の女性は、乳がんの再発で酸素呼吸器をつけながらも、死の二日前までは退院後にしたいことを語っていた。しかし亡くなる一日前になると、死期を悟り、家族に最後の言葉を言い残し安らかに逝ったという。人間は、最後の土壇場になってようやく自分の死を認めるが、それまでは何とか生きたいと願うものかも知れない。山崎医師は続けて語る。

    日本人は信仰を持っていない。だから何で救われるかというと、

    患者と周りの人たちとの深い友情関係から生まれる『愛』で

    救われるのではないか。

 神の国へ行けると信ずることがキリスト教徒の救いとなるが、極楽浄土を信じない日本人にとって救いとなるのは、取り巻く家族や親しき者との間にきづかれた愛の絆である。愛があるからこそ、死に臨んで安らかな大往生を遂げることができるというのである。

 最後に永六輔は、次の詩を書いている。

    人は必ず死にます

    そのときに生まれてきてよかった

    生きていてよかったと思いながら

    死ぬことができるでしょうか

    そう思って死ぬことを

    大往生といいます

 いま思い起こせば、楽しいこと、嬉しいこと、幸せなこと、満足なこと、得意になったことなどいろいろあった。だが同じように、苦しいこと、厭なこと、悲しいこと、不満なこと、恥ずかしいことなど、それに劣らず多々あった。在りし日々を彩ったこれらの光と影は、いまや一体となって絵巻物のように脳裏に蘇る。わが人生に悔いはなかった! それをもし大往生と呼ぶならば、わたしにもそんな死に方ができるかも知れない。
         (平成二十八年十一月)