《わが人生の歩み》(35)
一匹狼の教官たち 安藤 邦男
新しい学園では、四月四日の入学式が済むと、翌五日から前期の教育活動が始まった。初日は、新入生のオリエンテーションだ。
その日、午前七時に家を出た。その頃はまだ交通の便も悪く、地下鉄、市バス、私鉄と乗りついで行くと、市外の短大まで二時間以上かかる。
管理棟の事務所で、自分の名札を表向きに返す。出席しているという表示だから、帰るときはまた裏返しにするのだ。事務職員に新しい鍵をもらい、自分の研究室に入る。
細長い十畳ほどの部屋だ。真ん中に大きなデスクがあり、両側にはスティール製の空の書棚が人待ち顔に並んでいる。これから十年、狭いながらもここが自分の城になるのだ。身の引き締まる思いがする。
しばらくすると、同じ一般教育科に所属するY教授が呼びにきた。十時からの新入学生のオリエンテーションである。Y教授の後に続いて講堂に入った。入学式の日に見た女子学生が千人ほど、講堂を埋めつくしている。そこでわたしは英語担当教官として,学生たちの前で自己紹介をした。
こうして、第二の職場での新しい生活が始まった。出講日は週三日、水・木・金である。その間に受けもつ講座数は一コマ九〇分を六コマ、毎日二コマである。ただ金曜日だけは、授業のほかに、科の打合せ会が予定されていた。
学園全体の組織について言えば、専門学科として「保育科」、「食物科」、「生活文化科」、「商経科」、「英語科」があり、それに歴史、哲学、文学などの教養科目を教える「一般教育科」が加わって、六つの学科があった。ちなみに、わたしは一般教育科に所属することになったが、五年後には英語科に転科している。
高校の場合、教師は教科指導のほかに生活指導をはじめ諸々の雑用をこなさなければならないが、有りがたいことにここでは、教官と同数ぐらいの事務職員がいて、雑用は一切引き受けてもらえる。教官は講義だけしていればよいので、出勤時間は講義に合わせればいいし、終わればすぐに帰ってよかった。
勤めはじめて数日後のある日、学生食堂で中学時代の友人Hに出会った。わたしに非常勤講師の口があるといって誘ってくれた男だが、二年前から英語科の専任講師になっていた。
「高校のときの勤務に比べれば,まるで天国だな」
気の置けない友人なので、わたしは思ったことを口にした。
「そうだよ、ここは理系の大学じゃあないんだからさ、週三日出勤すればいいので、残りの日は家で本でも読んでいればいいんだよ」
以前、早稲田大学で非常勤講師をしていた彼は事もなげに言い、さらに続けた。
「それはそうと、M君と相談したんだが、そのうちキミの歓迎会をやるからね」
M君とは、同じ中学の同級生で、小学校長を最後の退職し、去年から事務局に入って庶務の仕事をしていた。
「それはありがとう。ところで一度聞こうと思っていたんだが、いったいなぜ、早稲田なんて有名大学を辞めて、そう言っちゃあ悪いが―、どうしてこんな辺鄙な大学へやってきたんだい?」
「非常勤講師なんてものはなぁ、何年やっても専任になれるわけでなし、一年契約だからいつ首になるかも判らんのだ。そのうえ、週一回の新幹線通勤は大変だったし、まあ母校でもあったんで我慢したがね、オレも若いんだから、定職に就かなきゃあいかんと思ってさ。それにね、この短大、不便な市外とはいえ、けっこう歴史があってね。いい教授を揃えているからな」
そういえば、一般教育の科長は名大名誉教授だし、食物科には東大名誉教授がいる。数年前までは岩波文化人として有名な古在由重教授がいたし、そのほか併設の大学を含めれば錚錚たる顔ぶれが揃っていた。
それかあらぬか、一般教育の教官たちはすこぶる気位が高い。初めて、金曜日の科会なるものに出席した日のことだ。話題がたまたまカリキュラムに及んだとき、数人の教官から別の科の時間割編成に痛烈な反対意見が飛び出した。それだけでなく、学園の理事や副学長の学園経営に対しても、歯に衣着せぬ批判が集中した。
「へぇ―、大学というのはこういう批判が自由なところか」
と、会議の思わぬ展開に驚きながら、彼らの発言に耳を傾けたものである。
あるとき、友人のHが言った。
「一般教育の教官は、みんな一匹狼だと言われてるよ。なにかにつけ、学園の方針に楯を突くらしいからナ。キミも気をつけたほうがいいゼ」
帰途、郊外電車のなかで、わたしはHの言葉が気になって考えていた。新米のお前もいい気になっていると、一般教育の批判派に取りこまれてしまうぞという意味だろうか。それとも、下手をするとお前も彼らの批判の対象にさせられるぞという意味だろうか。いずれにしても、Hの言うように気をつけるにこしたことはない。
だが、十人ほどいる一般教育の教官たちは、個人的にはとても親切で、新米のわたしにいろいろ教えてくれた。名大名誉教授の科長と体育学教授の二人を除けば、みなわたしより若いという事情のせいかもしれなかった。
授業は、講義、演習、実技、実験、ゼミなどに分かれていたが、わたしはゼミ一コマと演習五コマを受けもった。若い彼女らのこれからの人生に役立ちそうなエッセイや小説をテキストとして選び、テープの朗読を聞かせたり、会話表現を口頭練習させたりした。
しかし一コマ九〇分という時間は、彼女らにとっていかにも長い。緊張している下級生はまだいいが、場馴れした上級生になると、隣席の者同士の私語が多くなる。
そんな頃、たまたま大講義室の横にある廊下を通り過ぎたことがあった。教官はマイクを片手に学生に講義しているが、学生の多くは私語に夢中、その喧噪は教官の声に負けじと廊下に響いている。それでも、教官は平気で話し続け、学生たちは平気でおしゃべりを続けている。
こんな有様になってはもう手遅れだと思い、あるときからわたしは学生たちの座る場所を自由席から指定席に変更した。若い番号から縦列に並ばせ、しかも両隣りが空席になるように一列おきに着席させた。
初めは文句をいう学生もいたが、そこは元高校教師である。昔取った杵柄は健在で、うむを言わせなかった。私語は一切なくなり、真面目な学生からは喜ばれたのを思い出す。
(平成二十八年十二月)