車いすを初体験 安藤 邦男
〈六病息災〉をもって任じているわたしだが、それなりの苦労はしている。といっても、実は妻の管理の厳しさに従っているだけ、というのが本音である。
例えばビール。昔は大瓶二本が普通だったが、いつの間にか一本になり、やがて大ビンが小ビンになり、小ビンが350ミリのカンビールになり、それが今ではなんと半分、半分は翌日にリザ―ヴである。
情けなや、そんなビールでも無ければ食事は喉を通らない。それでも習慣は恐ろしい。けっこう酔えるから不思議である。
そんな天下太平の日常が、先日思ってもみない珍事に見舞われた。
その日はウェスティン・ホテルでの昼食会、高年大学のOBとして妻もわたしもともに所属する会だったので、二人で出かけた。
レストランはホテルの十一階にあった。席について窓から目をやると、眺望は絶佳。巨大な名古屋城が眼下に盤踞し、その周辺には満開の桜が彩りを添えている。かつて次男の嫁の両親を招待したのもこの階の個室だったことを想い出し、フランス風ランチを賞味する。
その日の参加者の大半は下戸の女性で、三本注文したビールはほとんどわたしが飲む羽目になってしまった。久しぶりにコップを重ねたビールは、胃の腑に沁みた。
さて、食後は特別公開中の名古屋城本丸御殿を見学するというので、一行は連れだって外へ出た。ホテルから城の入り口までは、堀を巡る桜並木を歩いて数分である。天気は上々、絶好の花見日和であった。それでも風はやや冷たかったが、それがほろ酔い気分の頬にはかえって気持ちよかった。
ところが―である。歩いているうちに、わたしは足元がふらつき始め、思うように進めず、仲間から遅れ始めた。おかしいなと思っているうちに、胸のあたりがムカムカしてくる。戻しそうになる。我慢しているうちに下腹に痛みが走り、居ても立ってもいられなくなった。もうダメだと思った瞬間、かすんだ目が路傍の公衆トイレを捉えた。地獄に仏とばかり、駆け込む。心配する妻の声が後ろから追いかけてきた。何度もゲー、ゲーの連続。さっき食べたものをすっかり戻してしまった。
どのくらいしゃがみ込んでいたことだろう。十分か、十五分か、それでも気持ちの悪さはいっこうに治まらない。そのとき、もうろうとした意識に浮かんだのは、旅先のトイレで倒れたまま急逝した義妹のことであった。続いて、若くして逝った兄弟の記憶がよみがえった。兄は急性膵臓炎で五十代、弟は大腸癌で六十代、いずれもアルコールがもとでこの世を去った。己の人生もこれで終わりか―という思いが、一瞬頭をよぎった。
「邦男さん、大丈夫―?」
妻の声が外から聞こえたとき、ようやくわたしは立ち上がることができ、外へ出た。
後で聞けば、妻はずっと前方を歩いていた仲間たちに、先に行ってくれるように頼みに行って戻ってきたという。そして顔面蒼白になって出てきたわたしを見て、このまま倒れこむのではないかと手に汗を握ったそうである。
わたしは体中の力が抜けていた。そしてやたらに口が渇いていた。堀をめぐる散歩道をトボトボ歩きながら、やっとの思いで名古屋城の正門前にたどり着いた。
城の入り口で、妻は車椅子を借り、私を乗せた。城内に入り、妻が自販機で買ってくれたお茶を飲むと、一息ついた。でも、それで治まったわけではなかった。二度、三度と、自販機横にあったトイレに座り込むことになり、かれこれ一時間もした頃、ようやく気分は落ち着きを取りもどした。
車椅子を借りた案内所の人がやって来て、
「簡易ベッドがあるので、そこで横になったらー」
と親切に言ってくれたが、ことわった。ただ、車椅子は城内を横断し、東門に到達するまで借りることにし、そこで返すことにした。
昼食を共にした仲間の姿はすでになく、車椅子を押す妻とそれに乗る夫という二人だけの、わびしい名古屋城観光となった。
「ビール、弱くなったわネ」
「うん、オレの身体、もうコップ一杯以上は受けつけなくなってるナ」
悲しいが、この現実は認めなくてはならない。
「どうですか、車椅子に乗った気分は?―」
気を取りなおして妻はいう。
「うん、別世界を旅する感じだよ」
生まれて初めての車椅子は、見なれた光景をすっかり変えてしまった。道行く人は見上げるばかりに背が高いし、前を歩く女性のヒップはちょうど目の高さにあるせいか、やたらに大きく見える。これは、五、六歳の幼児の眺める世界かも知れない。
「わたしは老老介護の練習ね」
妻は冗談めかしてそう言いながら、ゆっくりと押してくれる。だが、病める身体に砂利道の乗り心地は、けっしてよいものではなかった。
目指す本丸御殿では、車椅子専用の入り口が別にあり、ボランティアの女性が親切に屋内用の車椅子に乗り換えさせてくれる。驚いたことに、このまま部屋の中も廊下も通ることができるという。なるほど、畳には傷がつかないように敷物が敷かれてある。だが、その上を車椅子で通るには、かなりの心理的抵抗があった。
ヒノキの香りがする廊下を通り、部屋に入る。高い天井、虎や桜を描いた見事な襖、立ち並ぶ観光客の間からそれらを眺めながら、わたしはまた別のことを考えていた。和室の襖絵は本来座ってみるものではないか。だとすれば、立って見るよりは視点の低い車椅子の方が、ふすま絵鑑賞にはむしろ適しているかも知れないのだ。ただ、惜しむらくは人が多すぎる。そんな思いを抱きながら、本丸御殿を後にした。
「今まで知らなかったが、老人や身障者への介助の設備はずいぶん充実しているね」
「そうですよ、ボランティアの人も熱心に世話してくれるしネ」
帰途、妻と語りながら、わたしはあらためて人びとの好意と親切を身にしみて感じていた。
「こんなに世話してもらえるなら、車椅子人生も悪くないな」
「そんなことを言って―。罰が当たるわよ」
妻にたしなめられたが、いずれにしても、今日は己の行く先を暗示させるような一日ではあった。
(平成二十六年月)