もったいない? それとも断捨離?    安藤 邦男

「オレ、こんなに衣装持ちだったのかなあー」

 乱雑に積まれたジャケットやズボンの山を見て、わたしはそんなつぶやきを妻に漏らした。

昨年末、リフォームで和室の畳を床張りに替えたときのことだ。でっかい洋服ダンスを移動する必要があり、そのためにまずギッシリ詰まった衣類をすべて取りだし、とりあえず別室の床に山積みさせた。

「そうよ、現職時代に、ぜんぶあなたが着たもの。なかには二、三度しか着てない、新品同然のものだってあるわよ。ほんと、もったいない話よー」

 妻がそう言ったには、わけがある。退職後、わたしは背広の類いを身につけることはめったにない。ほとんどは手付かずのまま、タンスの中で眠っているからである。息子たちに貰ってくれと持ちかけても、見ようともしない。もったいないといえば、もったいない。

この〈もったいない〉という言葉、実は今から十年ほど前に流行したことがある。ケニアの環境運動家でノーベル平和賞をもらったワンガリ・マータイ女史が、来日の折にこの日本語を知り、これこそ環境問題を解決するキーワードだとして、世界に向けて発信した。

 そのころ、G8サミットでも、3R*運動が叫ばれていたし、また、バブル後の消費を抑制する機運にも乗じて、〈もったいない〉は多くの人に歓迎され、日常生活に浸透していった。ただ、この言葉も流行語の宿命を免れることはできず、次第に色褪せていったのは惜しまれる。

さらに拍車をかけたのは、時を同じくして〈もったいない〉に真っ向から闘いを挑む言葉が登場してきたことであった。自称クラター*コンサルタント、やましたひでこさんの提唱する〈断捨離〉*である。

〈断捨離〉は、瞬く間に日本中を席巻し、二〇一〇年(平成二十二年)の流行語大賞に選ばれている。そしてマータイさんはまるでその闘いに敗れたかのように、翌二〇一一年に七十一歳の身空でこの世を去っている。

 週刊誌の報じるところでは、初めて〈ダンシャリ〉という言葉を耳にした人のなかには、〈シャリ〉(=飯)を〈絶つ〉ことで、ダイエットのことかと思ったという。それも無理からぬ話で、実はこの言葉、ヨガの考え方をヒントにした、やましたひでこさんの造語だからである。彼女によれば、日常生活で不要なモノを断ち、捨てることで、これまで〈もったいない〉に呪縛されていた人たちは、モノへの執着から解放され、身軽で快適な人生を送ることができるという。

 「リフォームのときから思っているんだけど、わが家も〈断捨離〉でいきますか。とにかく物が多すぎるの。衣類だけじゃないわ。本ときたら、三階の屋根裏部屋まで占領してるんだからー。処分しないと、今にゴミ屋敷になっちゃうわよ」

と、ある日妻が言った。

 「この前のキミの話では、使わないのがもったいないと言うんじゃなかったの? 捨てるのはさらにもったいないと思うよ」

〈もったいない〉が躯に染みついている昭和ヒトケタ生まれのわたしは、そう言って妻の心変わりを揶揄した。

 「使わないのなら、邪魔になるだけでしょ? 捨てた方がましよ」

 妻はいつの間にか、〈もったいない〉派から〈断捨離〉派へ、宗旨替えをしたらしい。

広辞苑によれば、もったいないとは〈ものの値打ちが生かされず、無駄になるのが惜しい〉とある。使わないのも、捨てるのも、どちらも物の値打ちが生かされないという点では、誰もが惜しいと思うであろう。同じ惜しい思いなら、捨てた方がスッキリするというのが妻である。反対にわたしは、今は使わなくてもいずれ使うこともある、だからそのために取っておこうと考える。

むろん、わたしの整理能力は落ちている。物は仕舞い忘れてしまうので、どうしても目の前に置くことになる。周りが無秩序になる所以である。だが、何もない部屋より、だらしなくても物に囲まれている方がわたしは好きだ。その方が落ち着く。これは、戦前戦後の物資不足時代を生き抜いてきた者の飢餓意識か、あるいは代償行動のせいかもしれない。

「捨てるのなら、衣類にして欲しいよ。本を捨てるなんてことは、自分の過去を抹殺するようなもんだ。本の処分は、オレが死んでからにしてくれ」

と妻に言ったものの、正直、一方ではそろそろ死に支度はせねばなるまいという気持ちもある。本はさておいても、七畳半の物置部屋に押し込まれた雑誌、書類、原稿、写真、CDなどの類いは、生きているうちに是非とも整理しておきたいと思ってはいる。

〈断捨離〉の説くところでは、捨てることで残すべき物の価値を知り、新しい生き方を始めることができるという。たしかに、残したものが明日への出発点になるという意味では、この考え方は魅力的に思える。わたしの好きな英語の諺にいう、〈今日という日は残された人生の最初の日である〉に、何かしら通じるものがあるからだ。

死に支度ではなく、よりよい生き方を求めるためというのなら、これまで義理立てしてきた〈もったいない〉もいいが、新しい〈断捨離〉も捨てたものでないと、最近のわたしは考えるようになった。しかし、実行する決断がなかなかつかないのが現況である。

註】3R運動*  REDUCE=ゴミを減らす、REUSE=再利用、RECYCLE=再生利用という、三つの英語の頭文字を取ってできた言葉。
クラター*  クラター=CLUTTERとは、ゴミの山とか乱雑を意味する英語。
〈断捨離〉* 〈断〉は〈断行(だんぎょう)〉、〈捨〉は〈(しゃ)(ぎょう)〉、〈離〉は〈()(ぎょう)〉を意味するという。
                (平成二十七年三月作品)