わが人生の歩み》(27

 管理教育の汚名を着せられる              安藤 邦男

 

 このシリーズの前号《わが人生の歩み》(26)の文末に、わたしは「校内研究の成果が県内だけでなく、広く県外にも波紋を広げることになろうとは、そのときのわたしは夢にも想定していなかった」と書いた。その、「広く県外に波紋を広げる」ことになったきっかけは、研究発表の終わった翌年にあった。

ある日、わたしはS校長に呼ばれて校長室に入った。

「東京の学事出版から『高校教育』という月刊誌が出ているが、これに研究指定校として先生の纏めた研究成果を書いてもらいたい。向こうの編集長を知っているので、載せるように頼んであげるから」という話であった。

昭和五十六年、わたしは「高校教育」の月号に「コンピュータを導入しての生徒指導」というタイトルの論文を発表した。それがいわば呼び水になったのか、その後、原稿依頼があって、学習研究社の「学習コンピュータ」に「生徒指導にも生かすデータ分析」という記事を、さらに再び学事出版の『高校教育』に「コンピュータを活用した教育活動」なる記事を、それぞれ書いた。

 これらの文章がたぶん宣伝効果を発揮したためであろうか、その頃、県外の高校からS校への学校訪問が相次いだ。一つには、当時普及しつつあったコンピュータの利用実態を知りたいという気持ちが、多分どの高校にもあったからだと思う。もう一つには、教師と生徒という人間的触れ合いを基盤とする生徒指導の領域に、コンピュータという言わば非人間的手段を導入することの違和感が、多くの教師の好奇心を呼んだのかもしれなかった。

 いずれにしても、その頃のS高校は、ただ生徒指導部だけでなく、教務部の成績処理や時間割作成はもちろん、進路部、事務部,図書部、保健部など校内のほとんどの分掌で、コンピュータが利用されていて、視察訪問にやって来た他校の教師たちは、その多彩な電算機処理システムに感嘆したようである。わたしを含めて、訪問団に説明する教師たちの声も生き生きとしていたことを憶えている。

 ところが、「好事、魔多し」というが、愛知県のみならず他県にも有名になったS校のコンピュータ利用の教育に、水を差すような動きが出はじめたのである。

 それはまず、その頃連載していた朝日新聞の「続・平和の風景」シリーズ(五十六年)に端を発し、次いで毎日新聞の「教育を追う」シリーズ(五十七年)が後に続いた。いずれも、S高校のコンピュータ導入に触れ、それが管理教育を推進する手段とされているというような論調であった。寝耳に水であった。生徒の学習意欲を高めるための研究の一環に利用したコンピュータが、管理教育の一助になっているとは―。

 思い当たる節がないではなかった。その頃、愛知県には新設のT高校があって、ここでの強力な生徒指導体制が管理教育という名で呼ばれ、マスコミを賑わしていた。愛知の県立高校は多かれ少なかれその影響下にあるという見方が、世間には行き渡り、管理教育推進県として「東の千葉、西の愛知」という言葉が流行していた。メディアの世界では、愛知の管理教育を批判する下地がすっかりできあがっていて、わがS校も同類と見なされたのである。

 だからといって、S校のコンピュータ利用がそれによって影響を受けたわけではなかったし、また教育方針も伝統的な「愛・敬・信」の教訓と相まって、従前のように粛々と続けられていた。

 さて、その数年後、S校ではコンピュータ校長も退職し、コンピュータ援用の教育はひと頃の華々しさを失っていたが、それだけに地についたものになっていたといえる。だが、いったん形成されたマスコミの虚像は容易に消滅することはないと思わせる出来事が、再び起きたのである。

その頃、わたしもすでにS高校を去ってA高校に移っていたのであるが、ある日、一本の電話を受けた。

「学事出版から出ている『生徒指導』という月刊誌に、かつてS高校はコンピュータを使って管理教育を行っていたという記事が載っている。この記事に反論を書いてくれないか」

という。電話の主は、新しくS校の校長になっていたNさんからであった。この人は、かつてわたしがS校に在籍していたころ、教頭として校内を纏めていた上司であった。

早速、図書館にあった月刊誌「生徒指導」を開いてみると、「学校におけるコンピュータ利用と人権保障」という論文が載っている。著者は大阪在住のI氏という教師で、コンピュータは人権侵害を起こす危険があるから、生徒指導の現場には導入すべきではないと主張している。そして、そんな危険を冒した例としてS校を挙げ、以前にわたしが雑誌に書いたいくつかの記事を引用していた。

不思議なことにI氏は、「コンピュータの利用方法自体としては、とりたてて問題があるとは言えない」と書いている。ならば、どうしてS校が問題なのであろうか。論文をよく読んでみると、どうやらS校長が「有名な愛知県の管理主義教育立役者の一人である」というのが、問題らしいのである。

このとき、わたしはようやく気づいた。そうだったのだ。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎し」というが、S校長が憎ければ氏の推進するコンピュータまで憎いのだ。「朝日」や「毎日」の記者をはじめ、教育雑誌「生徒指導」のI氏がS校の「管理教育」を言挙げしたのは、多分次のような三段論法であったに違いない。すなわち、コンピュータを推進したのはS校長である。S校長はかつて教育部長として愛知の管理教育行政を推進したタカ派である。故に、S校のコンピュータは、生徒管理のために使われている。

これでは、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」と同じだ。実態を見ることをせず、幻想におびえる過剰反応といってもいいではないか。現場には、管理教育を思わせる痕跡は何ひとつないのである。S校長は世評をよそに、多くのことは教員の自主性に任せ、多くの時間は校長室に閉じこもって教育ソフトづくりに励んでいた。S校長が唯一固執したのは、「反復練習」という古典的学習方法で、これに異を唱える教師はいなかったのである。

わたしはI氏への反論として、まず第一に、S校を批判する論理の矛盾を指摘した。そして実態を見ずに世間の評判や論文の言葉尻を捉えて結論を導き出すのは、危機感をあおって世論を誘導するアジテーターではないかと批判した。最後に、S校のコンピュータ利用は生徒管理のためではなく、まったくその逆に生徒の自主性を如何に伸ばすかの取り組みの中で用いられたもので、そのことは研究指定校の研究テーマが、「生徒の意欲を高めるための生徒指導」であることからも判るはずだということも付け加えた。

反論を書きながら、わたしは一度貼られたレッテルを剥がすのがいかに難しいかを痛感していた。同時に、I氏のように実態を見ずにコンピュータ導入を危険だと断定することの方が、はるかに危険ではないかと思ったりした。

この反論に対しては、I氏からは何の応答もなかったし、世間も何ら関心を示さなかった。ただ、関係のある何人かの教師たちからは、「よく書いてくれた」という激励の言葉をもらった。

あれから三十余年経つ。今、この事件を思いだしていると、「大山鳴動して鼠一匹」の感無きにしも非ずと思うが、コンピュータであれ、管理教育であれ、新しいものが登場するとき、人は過剰に反応し、騒動を起こすものだということをあらためて感じざるをえない。                        (平成二十五年十二月作品)