悲しき男の性(さが)
ある日曜日の朝である。
「ねえ、このコント、面白いわ」
朝刊の日曜版を拾い読みしていた妻が、話しかけてきた。
妻の差し出した紙面をみると、読者の投稿欄があって、そこにコントが載っている。読んでみると、およそ次の内容だった。
― 男は始発電車に乗るので、いつも座席に腰かける。ところが、途中から乗り込んできて、かならずその男の前に立つ若い女がいる。どんなに混んでいても人をかき分け、彼の前に立つ。思いを寄せられているのかと思って、男は胸をときめかす。そのうち二人に、話す機会が訪れた。しかし、女は言った。
「あなたが次の駅で降りる人と知ったので、わたし、あなたの前に立つことにしたの」
男のロマンチシズムはあっけなく崩れる。それが話の落ちであった。―
「あなたがいつか話した地下鉄での出来事も、よく似ているんじゃない」と妻が言う。
「そう、同じだ。男は悲しいね。すぐその気になるからー」と言いながら、わたしはかつて体験した出来事を想い出していた。
もう何十年も前のこと、その日は図書館へ行く用があって、昼前に家を出た。地下鉄はそれほど混んではいなかったので、ゆったりした気分で座席に腰を下ろしていた。
ふと気がつくと、ちょうどわたしの向かい側に座っていた女性が、わたしの方をチラリ、チラリと見ているように感じられた。わたしが目をやると、一瞬視線が合ったが、女性はサっと目を伏せる。しばらくしても、やはりわたしの方を見ていることが視野の端で感じられた。
わたしもそれとは気づかれないように、観察の目を走らせた。一見したところ、年の頃は五十歳前後だろうか、地下鉄には珍しい和服姿の女性で、なかなかの美人である。しかし、何となく玄人風の雰囲気を漂わしている。だが、どうしてわたしに関心を寄せるのだろうか。
ひょっとすると、相手はわたしを知っているかもしれない。だとしたら、教え子だろうか。だが、その顔には見覚えがなかった。もっとも、教師という職業にある者は、相手は知っていてもこちらは知らないことが多いので、見覚えがないとしても、油断がならない。
あるいは教え子の保護者だろうか。PTAの全国大会などがあると、何人かの役員を連れて、京都や北海道へ旅行したこともある。そんな人だったら、わたしにも見覚えがあるが、そうでもなさそうだ。一般の保護者だとしたら、校内のPTAの会合などではいろいろ話をしたから、知っていてもおかしくはない。だが、わたしを見つめるほど親しくはないはずだ。
だから、やはり見も知らぬ女性なのだろう。でも、なぜ、わたしを見つめるのか。ひょっとすると、彼女はわたしを誘っているのかもしれない―。デートを持ちかけようとしているのかもしれない―。
そのとき、ふと、脳裏をよぎったのは、中学生時代に同じ電車で通う女学生に付け文をされた出来事だった。
二年生か、三年生の頃だった。わたしは名鉄電車を利用して、K駅まで通っていた。乗り物に乗るとき、人間は同じ場所から乗る習性があるらしく、いつも出会う顔ぶれが決まってくるものだ。わたしはいつも先頭車両の一番前に乗ったが、その子もかならずそこに立っていた。もう一駅か二駅前から乗っていたらしい。目のきつい、大柄な子で、明らかに年上だった気がする。いつの間にか顔見知りになっていたが、むろん話したことはなかった。中学生が女学生と話すことは、御法度とされていた時代である。
そんなあるとき、混雑する電車の降り口で、彼女はわたしにそっと紙切れを渡した。
「今日の帰り、私は○○時○○分の電車に乗ります」と走り書きがあった。
だが、わたしはその電車には乗らなかった。それどころか、翌日から、わたしは彼女に出逢わないように、時間も乗り場も変えた。怖かったのである。当時、一年上の上級生がラブレターのやりとりを見つかり、退学になったという噂が流れていたのだ―。
物思いにふけっていると、地下鉄が止まった。となりの座席に座っていた学生風の若者が降りていった。電車が動き出すと、突然、先ほどの女性は立ち上がってわたしの方へ歩きだしたかと思うと、なんと、わたしの横に並んで腰を降ろしたのである。いよいよきたかと、思わず身を固くした。
―何か話すにちがいない。誘われたらどうしよう。応じるべきか、今日は都合が悪いと断るべきか―。
一秒か、二秒だったが、わたしの頭はフル回転し、とっさの対応を考えていた。
「マエガアイテイマスヨ」
そのときの声は、まるで宇宙人のささやきのように聞こえた。
「え!」
といったまま、わたしは意味不明の言葉を聞き流していた。どのくらい経ったのだろう。いや、一、二秒だったかもしれない。ようやく意識がもどった気がした。
― 何かあいている、と言ったようだが、何だろう? 前の席があいているから移れというのか? だが、それはおかしい。それとも、窓でもあいているというのか? いや、地下鉄の窓があくはずはない。じゃあ、何だろう。―
「シャカイのマドですよ」
わたしの疑念に応えるように、女性の声がまた耳にひびいた。そうだったんだー。われに返ったとたん、まずわたしを襲ったのは、安堵と失望の入り交じった不思議な感情だった。
「すみません―」
と言いながら、体中の血が顔にのぼるのを感じていた。そのときの恥ずかしさは、ズボンの前が開いていたことを女性に見られたからというより、愚かな妄想に耽り、独り相撲を演じていた己の浅はかさが情けなかったからである。
わたしは脇に置いていた手提げカバンを膝の上に載せ、車内の人目をはばかるようにしてズボンのジッパ―を閉めた。心の中には、自己嫌悪が渦巻いていた。しかし、何事もなかったかのように目を閉じた。それは、内心の動揺を見せまいとする精一杯のしぐさであった。
女性は次の駅で降りていった。むろん、挨拶もなかった。周りの乗客は、二人の演じた小さなドラマを知ってか知らずか、無言のままそれぞれの世界に閉じこもっていた。後には、いつもの地下鉄の立てる単調で、無機質な物音だけが響いていた。
(平成二十四年六月)
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