あつものに懲りてなますを吹く
「もしもし、私は東京の〇〇という会社の〇〇というものですが、このたび『英語コトワザ教訓事典』を紹介させてもらいたいと思って、電話させてもらいました」
若い女性の声である。それは、もう十年以上も前に出した本で、一般の書店にはあるはずもなく、あるとすればブックオフの片隅に埃をかぶっているぐらいの代物である。
「その本のこと、いったいどこで知りましたか」
という問いに、予期しない答が返ってきた。
「国会図書館です。素晴らしい本ですね。ぜひ皆さんに読んでもらいたいと思いました。サンケイ新聞の一面に載せさせてもらいます。九月の十日前後ですが―」
そんなことがあるのかと、耳を疑った。いってみれば、忘却の淵に沈んでいた過去の亡霊がよみがえったようなものだ。
「へえ―? それはありがたいのですが、でも、あれはもう絶版になっていますから、せっかく紹介してもらっても,入手できませんよ」
そして、わたしは東京堂から出した新しい『テーマ別・英語ことわざ辞典』が、その改訂版であると伝えた。
「はあ、そうですか。では、一度検討させていただきます」
電話はそれで終わったが、その話を聞いた妻は言った。
「絶版だなんて言わずに黙っていれば、載せてもらえたかも。そうしたらあの事典も再刊されて、日の目を見たかもしれないでしょうに」
このとき、妻もわたしも、この話にウラのあることを知らなかった。
その後、心待ちにしていたが、電話の女性からは何の連絡もなかった。それに、会社の名前や女性の名前はまったく記憶になく、こちらから問い質すこともできなかった。ただ、十日前後のサンケイ新聞とだけは憶えていた。
そこで、半月ほどたったある日、桜山の市大病院へ行った帰りに、鶴舞図書館へ寄ってみた。ひょっとすると拙著の記事が出ているかもしれないし、たとえそうでなくても書籍紹介のページがあればどんな内容なのか判ると思って、サンケイ新聞のバックナンバーを借り出し、調べてみた。しかし、いくら丹念に調べてみても、それらしき記事は発見できなかった。やはり,そんなうまい話はないのだと、自分の逸る心に言い聞かせた。
そんなことがあって間もなく、ホームページの掲示板にメールがはいった。送り手は、名東区〈咲楽〉とある。グルメやファッション関係の情報を提供する無料雑誌で、わが家にも月に一度ぐらい配達されるので、その名前は知っていた。文面に、『東西ことわざものしり百科』を紹介したいから、連絡してほしいとあった。
〈捨てる神あれば拾う神あり〉かとばかりに、さっそく電話した。ここでもまた、S嬢と名乗る若い女性が出てきた。わが家を取材訪問したいという。両者の都合のいい日を決めて、取材を受けることにした。
ところがその翌日である。電話があって、出てみると、
「先日、『英語コトワザ教訓事典』を紹介したいという電話を差し上げたHですがー」
という。すっかり忘れていたが、あの東京の女性の声である。
さては、もう一度取り上げるということかと、期待に胸を膨らませると、つづけて、
「この前、お知らせ頂いた東京堂のご本も素敵ですね。今日の会議でぜひこれを紹介したいということになりましたので,お電話するのですが―」
ときた。相手は〈捨てる神〉ではなかったようだ。〈待てば海路の日和あり〉だ。
「ところで、聞き漏らしたのですが、お宅はどういう会社でしたか?」
名前を忘れたとも言えず、何をする会社かと尋ねた。
「〈広報堂〉という会社で、芸術や文学関係の作品を紹介させてもらっています。そこでですね、今度サンケイ新聞の一面に一〇センチ四方ぐらいの大きさで、紹介したいのですが、どうでしょうか」
「はあ、そうですか。けっこうですよ。お任せします」
「それでですね―」と、相手はひと呼吸をおいた。
「二十四万円ほどかかるのですが―」
「えっ?」
意表を突かれ、相手の意図を飲み込むのに、数秒かかった。なーんだ、広告だったのか。道理で褒めそやすはずだ。それに気づかなかったおのれのうかつさを悔いながら、自然に語気が強まった。
「広告だったら、初めからそう言いなさいよ。金を出してまで宣伝するつもりはありません。折角ですが、お断りします」
期待した分、いっそう腹が立った。褒めれば落ちるという下手な戦術を仕掛けられたことに対してはもちろんであるが、それよりむしろ褒め言葉に有頂天になったおのれの軽薄さの方が許せない思いであった。
さっそく、インタ―ネットで〈広報堂〉を調べてみた。なんと、ブログやツイッターからは、苦情の文章がごろごろと出てきた。いずれも、短歌を載せるからとか、写真を掲載するからとか称して、一様に二十四万円を請求する詐欺まがいの商法を告発している。
話を聞いた妻が言った。
「とんでもない話でしたネ。それはそうと、取材に来るという〈咲楽〉は大丈夫なの? フリーペーパーといえば、広告収入で経営している会社でしょ。後で高い広告費を請求されるのでは?」
「うーん」
同じ穴のムジナかもしれない。危ない、危ない。すかさず、会社へ確認の電話を入れた。
「こちらは編集部の取材ですから、記事として書かせてもらいます。広告とは関係ありませんから,ご安心ください」と、返ってきた。
一度苦い経験をすると、必要以上に用心深くなることの喩えに、〈あつものに懲りてなますを吹く〉がある。どうやら、わたしはこのことわざを地で行ったようである。
編集部のS嬢を自宅に迎えた日、わたしは開口一番、取材目的のウラを問い質した非礼を詫びた。
(平成二十四年十月)
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