市邨短大英語科ゼミ説明会訓話           平成 7年12月14日

トケーヤーの「日本には教育がない」によれば,「日本の子供は教えらたことはよく覚えるが,主体性をもって調べ,研究するものは少ない」ようです。大抵の外人が日本の子どもたちを見ると,これに類することをいいます。

もっともこのことはある意味ではやむを得ないことである。あなた方にも経験があるように、日本の大学入試は非常に厳しい。合格するためには,教えられたことを疑問も抱かず,そのまま憶えなければならないのです。

しかし問題は,大学生になっても,なおかつ高校時代と同じように勉強していることです。与えられたもの,教えられたことをただ憶えればよいという態度のものが多いのです。

ご承知のように、どんな勉強でも基礎と応用があります。数学でも英語でも,基礎編があれば応用編があります。基礎編は徹底的にドリルしなければならないのですが、応用編では基本的知識を活用し,より高い次元から自由に発想することが求められますね。自由な創意工夫が必要ののです。

同じことが教育全体についてもいえます。高校までは基礎段階,大学は応用段階なのです。高校と大学の一番大きな違いがここにあります。大学では,積極的に自分で問題を発見し,必要な資料を集め,方法を立て,問題を解決しなければなりません。

先日,ある授業の時のこと,「スープを飲むときは音を立ててはいけない」を英作するとき、ある生徒は drink soup を使ったので、それを eat soup に直しました。授業後,その学生が質問しました。「soup は液体,液体は飲むもの,日本語も<飲む>とあるのに、  <drink>で何故いけないのですか」というのです。そのクラスで質問されたのははじめてだったので、私は感激しました。しかしその場では用があって急いでいたので,辞書で調べるようにと言って,彼女への次回までの宿題にしました。

次の週,その学生のいわく,「先生,わかりました。soup は液体でも普通は spoon を使うので,そのときは eat soup ということがわかりました。しかしそんなことは普通ないでしょうが、spoonを使わずに、仮にお椀か何かに直接口をつけて飲むとすれば、drink soup from the cup といえると辞書に載っていました」と、彼女は嬉しそうに話しました。彼女にとってそれは大きな発見だったのですね。そしてそれは彼女の記憶に永久に残るだろうと思われます。

この例からの教訓として,私はあなた方にいいたいことが二つあります。一つは,積極的に疑問をもち,自分で調べれば,必ず新しいことを発見できるということです。そこには必ず勉強する喜びがあります。これこそが大学でする主体的勉強で,高校とは違うところです。

もう一つは,彼女の発見したことですが,英語と日本語は必ずしも1対Tの対応はしないということです。日本語の「飲む」は液体を取る場合は常に使えるが、英語の drink は液体でも suop のように spoon で取るものは除外されるのです。

 つまり,日本語の<飲む>と英語の<drink>とは,その切り取り方が違う。何故違うのかといえば,それが文化の違いだと言えるのです。

例えば,よく知られた英語の,brother sister は,日本語の兄弟姉妹とは対応していない。英語の brother という語で切り取った対象は,同じ親から生まれた子供の男子全部を指します。日本語の場合は,さらにそれを年齢によって,「兄」と「弟」に分類する。この違いは,平等志向の強い英米の文化と,タテ志向の強い日本の文化の違いなのです。

 一つの言葉からでも,われわれは日本文化と英米文化の違いを知ることが出来ます。

さて,私のゼミですが,このパンフレットをよく読んで、これだ!! と思った人は是非来てください。そうでない人はひとつご遠慮下さい。

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