旭丘高校の卒業生に送るメッセ−ジ          1990(平成2年)・5・1


 卒業生の皆さん、ご卒業おめでとう。 

 わたしは今、卒業する皆さんを前にして、わたしの高校時代のことを思い出しています。 

 わたしがあなた方と同じ年代の頃といえば、まだ終戦直後のことですが、全国的に見ても大学の数は、ほんの数えるほどしかありませんでした。地元を離れて東京や京都に行くのならいざ知らず、自宅から通学できる大学といえば、愛知県には「名古屋大学」以外にはなかったのです。ところが、今はどうでしょう、愛知県だけでも、大学の数は何十となくあります。あまり多すぎて、選択に困るほどであります。

 多すぎるといえば、何も大学の数だけではありません。高度消費社会、情報化社会といわれる今日、この国には物も情報もおびただしく氾濫しています。その物や情報の山の中から、私たちは自分にとって必要なものを取捨選択しなければならないのです。まことに、現代は「選択の時代」であるといえます。

 ところで、このような選択の時代にあって、私たちが陥りがちな弊害があります。それは、私たちは自分が選ぶことに忙しいあまり、自分自身が選ばれるのだということを、とかく忘れがちなことであります。選択の社会では、ひとは選ぶと同時に、選ばれるのです。例えば、就職するに際して、あなた方は企業を選びます。しかし、企業の方は、逆にあなた方を選ぶのです。

 このように、自分というものが、他人から選ばれる存在だということを、はっきり認識するならば、自分の生き方というものも、自ずから明らかになると思います。というのは、ひとは選ぶ場合、それが他のものには無い、個性的な特徴を持っているからこそ、選ぶのです。つまり、ひとは個性を選択をするのです。その意味で、今日の選択の時代は、まさに個性の時代でもあるのです。

 さて、美術科の皆さん、あなた方は、すでに、美術という素晴らしい手段を選びました。その選んだ専門の美術の中に、自分の持てる個性、能力、資質のすべてをつぎ込んで下さい。そして、ひとりひとりがその人だけしか持つことの出来ない魅力を備えた、個性的な選択肢となって欲しいと思います。

 次に、普通科の皆さん、あなた方にとって、将来の大きな選択の機会が、二度あると思います。一つは、すでに決定済みのひともいるかと思いますが、さしあたって入学する大学をどこにするかという、目前の問題であり、もう一つは、大学卒業後、就職先をどこにするかという問題であります。どちらの選択の場合も、考えなければならないことは、世の中のひとに、いったい自分は自分の中の何を選んでもらうのか、ということであります。

 さて、卒業生の皆さん、もう一度繰り返すならば、自分が選ぶということは、実は自分が選ばれるということであります。このことを忘れず、あなた方自身の二度とない人生を選んで下さい。そして、あなたがた自身の、誰にも真似のできない、素晴らしい個性を、磨いて欲しいと思います。

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