旭丘PTA委員総会での挨拶   平成2年3月9日

 ただ今会長さんから紹介されたように、私はこの学校へ来てから丁度3年になります。ですからここにお見えの会長さんをはじめ副会長さんたちと同期生であり、もう3年お付き合いになります。無論今年はじめて委員におなりになった方とは、一年の短いお付き合いでありましたが、本当にいろいろお世話になりました。

 今から思えば、あっという間に過ぎ去った3年でありましたが、最初の一年はすごいカルチャ−ショックでした。何しろ普通の高校では考えられないようなこと、例えば私服登校や、放課の外出等は言うに及ばず、朝の遅刻は多いし、教師に会っても挨拶はしない、掃除はさぼる等々、しかし慣れれば恐ろしいもので、それが当り前のことと感じられるのです。

 そうですね、この学校の生徒で最も大きな特徴と言えば、私はプライドだと思います。例えば、普通の学校では、考えられないことですが、試験中でもクラブ活動を一生懸命やる。わざとらしさが目立つほどやって、自分はいかにも勉強はしていないような顔をする。彼もやっていないから、俺もやらなくてもいいなんて考えようものなら、ひどい目に会う。家へ帰ったら猛烈に勉強する。プライドの高いもの同士は、お互いに敵の心理を熟知している。だから、誰も何も言わずに頑張っているわけです。

 しかし、今の大学受験というものは、そんな簡単なものでは実はないのです。家でいくら猛烈に頑張ってみても、学校でのんびり構えて勉強してないポーズを取っていたら、確実に勉強の絶対量が不足するのです。しかも、自分の実力の二つも三つも上のランクの大学を目指すものだから、当然浪人ということになる。そこで、私は先日公立高校最後の授業をやったとき、3年生の諸君に言ってやりました。「諸君、おおいに浪人をしたまえ。浪人しない奴は駄目だ。」 そうしたら、みんなどっと笑うんです。

 彼らは恐らく私が冗談か、さもなくば反語法でそう言ったと思ったのでしょう。実は私は本気でそう言ったのです。つまり、私は彼らの持っているプライドの悪しき面を打ち砕いてやろうと思ったのです。人間には挫折体験が絶対必要だと思います。挫折体験のないプライドは単なる高慢でしかありません。順風満帆の人生を送ったものには、人間の弱さへの同情心がありません。それに、挫折体験が皆無のものが一旦挫折をすると、それこそ人生の破滅を来すことにもなりかねません。学生時代の試験の失敗は、いわば種痘のようなもなで、社会に出てからのもっと大きな挫折の免疫を作ってくれるのです。

 でも、プライドはよい面も持っています。それは誇りとなって人間の向上心の源泉となります。私の息子は二人とも現役で大学へ行きました。その時は嬉しかったのですが、しかし大学へ入ってからは全然といってよいほど勉強をしない。のみならず、高校時代でも、入れるところでよいからと、だんだんと希望を下げて、現状に満足してしまったのです。やはり、人間はプライドをもって、現在の実力以上のところを望めばこそ、それに向かって努力するのです。そして失敗したらそれこそ背水の陣をしいて、死にものぐるいで頑張る。実際、本当に勉強するのは、一生のうち浪人生ではなでしょうか。

 次にプライドと関係があるのですが、この学校の生徒の特徴の一つは、自主性の過信です。先日もこんな事件がありました。学校の中があまりに汚いので、清掃の分掌を生徒会から保健部へ移そうという意見が、職員の中に出てきました。そこで生徒の意見も聞いてみようということになり、生徒会に打診しますと、生徒は「とんでもないことだ。学校はわれわれの自主性を侵害するのか」と反応してきたのです。この学校では、清掃が実は生徒の自主活動の一つとして行われてきたのです。でもしかしそれではきれいになるはずはありません。掃除する、しないが、生徒の自主的判断に任されれば、誰もしないに決まっています。

 生徒は、何かあるとすぐに我々の自主性に任せよと言います。しかし、自主性に任せるためには、自主性が存在が前提になります。わが校の生徒に果して自主性が備わっているのでしょうか。私は自主性とは、自分の力だけで正しい判断が出来、正しい行動が出来ることだと思いますが、そんな人間は一握りしかいません。学校で学習指導や生活指導を行っているのは、生徒を自主性のある完全な人間にするためなのです。我々は生徒の自主性を育てるのであって、自主性に任せるのではないのです。たとえ一部任せることがあってもそれは自主性を育てるための方便の一つなのです。

 それはさておき、プライドというものは上手に使えば、効果があります。ただ汚いから奇麗にせよだけでは、なかなかやらないことを我々は知っているものですから、彼らのプライドに訴え、危機意識を刺激してみたのです。すると、まんまと引っかかったというと語弊がありますが、自主性を言うからには、やはり自主的に振舞わなければならないことに気づいたのです。ただ、本当に学校を奇麗にするためには、これからが勝負であります。何とかさぼろうとする生徒と、何とかやらせようする教師と戦いです。気を許した方が負けであります。

 でも、旭丘の生徒は本当にいい生徒です。私は公立高校最後の3年間をこの学校で過ごさせてもらったことを、本当に有難いことだと感謝しています。生徒だけでなく、ご父兄の方も本当にいい方ばかりで、とくに委員会、役員会はもちろん、教育懇談会や学舎の一泊旅行等、多くの方々に本当にお世話になりました。ありがとうございました。

 最後に、先日私は美術科の生徒たちと一緒に、京都や奈良の古美術見学旅行へいってきました。生涯はじめて私は仏像の美しさに魅せられました。これから定年を迎えて、仏像と一緒の生活がはじまりそうです。ただ、本当の仏様にはならないように十分健康に留意していきたいと思います。皆様も、お元気でお暮し下さい。さようなら。

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