昭和高2学期終業式指導部主任訓話 昭和52年12月24日
冬休みを前にして
一学期の終業式のとき、夏休みを前にして諸君に言ったことがあります。それは、夏休みというのは自分自身との長い、激しい闘いであるということでした。同じことを私はいま冬休みを前にして諸君に言いたいと思います。
人間はだれでも、程度の差こそあれ、怠け心があります。怠け心は、学校のある間は比較的抑えられていますが、冬休みになると一挙に表面に現れてくるものであります。
例えば、朝の起床ですが、諸君の中には今まで朝寝のできなかった恨みを一挙に晴らすかのように、昼頃まで寝溜めをするものがいます。その結果、夜になっても眠られず、ついテレビやラジオの深夜番組を見たり聞いたりします。そして、朝はますます起きられないという、悪循環が始まります。
また、街へでると、商店街はジングルベルの音とともに年末大売り出しをやっている。パチンコ屋はある、喫茶店はある、成人映画はやっている、自動販売機では酒やタバコは売っている。つい、手を出したくなる人がいても、不思議ではありません。
このように、うちには怠け心、外にはさまざまな誘惑、その中にあって、屈せず自己を律するには、よほどの強い意志と勇気が必要です。
そして、その意志と勇気をもって戦う相手は、自分自身なのです。おのれの怠惰心、おのれの弱さを完膚無きまでにやっつける覚悟がなくては、戦いに勝てません。それはいってみれば、われわれ自身の中にある堕落しようとする心と、向上しようとする心の戦いであり、葛藤であります。
そのような心の葛藤をもたない、優等生的人間がいます。彼は外界の誘惑を何ら感じることなく、「われ関せず焉」としておのれの道を邁進していきます。彼はある意味では立派です。しかし、ある意味では、かわいそうな人間です。というのは、心の葛藤のない人間に真の成長はないからです。
先日、ある問題生徒の反省文を読んでいたら、次のような箇所に遭遇しました。「自分の心の中には、他人の迷惑を顧みない、自分だけよければというエゴイスティックな一面があって、我ながら嫌になる。果たして、自分は立ち直れるだろうか。」そのとき私はかれに言ったのですが、自分の弱点を自覚すればこそ、それと対決し、それを克服しようとして、自制心が生まれ、自分をコントロールする能力が身につくのです。弱点がなければ、それを克服しようとする努力もないのです。弱さにうち勝ったとき、人は真に強い人間になれるのです。不完全だからこそ、人間は完全になれるのです。
ある人は、人間の弱点を真珠にたとえました。真珠貝は、柔らかい貝の肉の間に小石を入れられると、痛くてしようがない。体内の異物である小石を包み込み、同化しようと成分を出しているうちに、小石はやがて光り輝く真珠になる。心の中の弱点や欠点という小石を抱えていればこそ、やがて素晴らしい真珠を生み出すことができるのです。
9月には、生徒諸君の一人ひとりが素晴らしい真珠をもって登校することを期待しています。
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