5.経験主義の英米人、権威主義の日本人      安藤 邦男

  《経験は最善の教師》vs「学問は一生の宝」

(1) 自分の経験しか信じない英米人

     《経験は最善の教師》

 アメリカ人は経験主義の民族です。自分の体験がすべて判断の基準になるのです。少しで自分の経験に照らして疑わしいと思えば、どんな権威者がいったことであろうと、信じません。それはアメリカ特有の競争社会の生み出したものかもしれません。つまり、人を信じるな。自分だけを信じよという競争社会の人生観から生まれたのでしょう。

 そのいい例が、いまだに地動説や、進化論を信じない人たちがかなりいるという事実です。そしてそれに比例して、いまだにアダムとイブの物語を信じ疑わない人が多くいます。それも、かなり高度な教育を受けた人がそのようですが、むろん長い間のキリスト教の影響が大きいと思われます。

 少し前の話ですが、テレビを見ていたら、あるアメリカ人は1972年に打ち上げられたアポロ16号の月面着陸は嘘だといっていました。人物や飛行船の影が別々に映っているからとか、空気がないのに旗がはためいているとか、いろいろの理屈を並べてあれは作り物だというのです。聞けば、アメリカ人のかなり多くは、月面着陸は米ソの冷戦が生み出したNASAの演出、つまりテレビ局のトリックだと思っているようです。こんなことは、日本では考えられないことです。

Seeing is believing.《見ることは信じることである》

という有名なことわざがあります。これに日本では、「百聞は一見にしかず」のことわざを当てていますが、正しくは、《見ないことは信じてはいけない》と訳した方がピタリとします。

 これは、学問の世界におけるアメリカ型実証主義と無関係ではありません。アメリカの学者は徹底したフィールドワークを尊重します。現場を歩き、自分の目で確かめる、これがプラグマティズムの思想です。次のことわざはいずれも経験の重要性を説いています。

Experience is the best (or a good) teacher. 《経験は最善の教師である》
Experience is the father of wisdom and memory the mother. 《経験は知恵の父、記憶はその母》
Believe nothing of what you hear, and only half of what you see. 《聞いたことは全く信じるな、見たことは半分だけ信じよ》
・ The proof of the pudding is in the eating. 《プリンの味は食べてみなければわからない》「論より証拠」

Years know more than books.《《年齢は書物より多くを知る》

 かつて、朝日新聞の論説主幹の笠信太郎(1900―1967)は、「ものの見かたについて」(昭和25年刊・百万部をこえるベストセラー)のなかで、国際連盟事務局長であったスペインの外交官、マドリヤーガ氏の「祖国を思う名著」を引用して、「イギリス人は歩きながら考える。フランス人は考えた後で走り出す。そしてスペイン人は走ってしまってから考える」といいました。それに加えて「ドイツ人は考えた後で歩き出す」ともいっています。

 「歩きながら考える」というのは、まことにイギリス人を批評するにピタリの言葉として、当時多くのひとに引用されました。ここには、アメリカ人は出てきませんが、もし取り上げるとすれば、「アメリカ人は走りながら考える」といってもよいでしょう。歩くにせよ、走るにせよ、行動しながら考えるということが、英米人に特徴的なのです。つまり、彼らの思考は行動と結びついている、言い換えれば彼らの思想と行動を規定するのは、行動主義であり、経験主義なのです。


(2) 権威者の言を鵜呑みにする日本人
    「学問は一生の宝」

 ところが日本人は反対に、自分の目や耳を使って得た知識よりも権威者の言葉を信じる傾向があります。マスコミの流す活字や映像を頭から信じ、鵜呑みにします。

 それには、学問にたいする熱い思い入れが日本の風土に昔からあったことにも原因があります。次のことわざをご覧下さい。いずれも学ぶことの大切さを説くものばかりです。

・「学問は一生の宝」
・「学者は国の宝」
・「学ぶに如かず」
・「学若し成らずんば死すとも帰らず」
・「今日学ばずして来日ありと謂う勿れ」
・「少年老い易く学成り難し」
・「学びて思わざれば則ち罔く、思いて学ばざれば則ち殆うし」
・「60の手習い」「80の手習い」
・「温故知新」「故きを温ねて新しきを知る」


 むろん、今日の日本の近代化を成功させてきたのは、読み書きソロバンから始まって中等教育、高等教育に至るまでの、学校教育であったのは疑う余地がありません。

 しかし、21世紀の教育がこのままでいいかどうかとなると、大いに問題です。現在、毎日のように起こる青少年の非行や犯罪を見て、21世紀の教育はこのままでいいと思う人は誰もいないでしょう。そこに求められるのは、知識偏重の詰め込み主義教育ではなく、豊かな情操と家族や郷土を愛する心をもった青少年をつくる教育ではないでしょうか。
 
 それには、体育活動にせよ、ボランティア活動にせよ、もっと身体を動かし、もっと心を働かせる体験活動が必要だと思います。むろん、極端な経験主義オンリーでは困りますが、適正な経験主義的な考えを取り入れれば、これまでのような知識偏重を是正できるのではないでしょうか。

 とくに最近の日本の若者は、実地の経験が少ないし、また祖父母や地域の年長者と接触する機会もないので、経験の知恵から学ぶということがありません。それどころか、高齢者の知恵や経験は非科学的といって敬遠し、すぐにマニュアルに頼ろうとします。それでは、バランスの取れた人間教育が出来るはずもありません。

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