2.愛を口にする英米人、口にしない日本人       安藤 邦男


  ・・・愛情の表し方が欧米と日本とではどのように違うか・・・

(1)英日とも盲目的な異性愛・肉親愛

@ 生物学的愛をと倫理学的愛


 愛《LOVE》という言葉は、大きく分けていえば、@ 特定の相手への愛 と、A 不特定な相手への愛の2種類になります。@は生物学的愛で、これには異性愛や肉親愛などが含まれ、Aは倫理学的愛で、これには隣人愛や人間愛などがあります。

 次のことわざにおけるloveは、肉親愛や異性愛を表し、これを日本語に移す場合は、「愛する」よりも「慕う」「恋する」「惚れる」などと訳されることが多い。このような意味のLOVEを含んだことわざは、日英とも多くあります。

・ Love is blind.《恋は盲目》
 =「恋路の闇」

・ Love and knowledge live not together.《恋と知識は両立できない》
 =「恋は思案の外(ほか)」
・ Love sees no faults.《恋は欠点を見ない》
 =「痘痕(あばた)も靨(えくぼ)」
・ The crow thinks her own bird fairest.《カラスは自分の子が一番美しいと思っている》
 =「子煩悩」「親の欲目」
・ Love me, love my dog.《私が好きなら私の犬も好きになって》
 =「愛、屋烏(おくう)に及ぶ」「坊主憎けりゃ袈裟まで憎し」

 この意味のloveは、多くの小説や詩に描かれる愛で、激しく、純粋なものです。ひたすら相手のなかに没入し、相手と一心同体になろうとするあまり、そこには他人の介在する余地はありません。同時にまた分別や理性の入りこむ余地もありません。日本語で表現すれば、この種の愛は肉親間では
「親馬鹿」「子煩悩」になり、異性間では「恋路の闇」「痘痕も靨」になります。

A 同情から生まれた異性愛


 
しかし、Aの倫理的愛が@の生物学的愛に変わることもあります。次のことわざは、純粋な同情が男女の愛に変わることを指摘しています。

・ Pity is akin to love.《憐れみは恋の始まり》=「可哀想だた惚れたって事よ」(漱石)
 =「恋と哀れは種一つ」

 上掲の英語のことわざは、夏目漱石が「三四郎」の中で引用してから有名になったものです。ちなみに、登場人物の一人である與次郎は、これを俗謡調に
「可哀想だた惚れたって事よ」と訳し、廣田先生に「下劣の極」と貶されています。それはともかく、これは「恋と哀れは種一つ」という日本のことわざに対応しています。

(2)日英で大きく違う愛情の表現

@ 常に愛を口にする欧米人

 さて、異性愛や肉親愛は、日英ともに激しく、盲目的であることには変わりありませんが、同時にそこには大きな違いもあります。それは何かといえば、愛を表現する方法であります。愛情表現が日英では大きく違うのです。

 欧米人は、朝から晩までアイラブユーを口にする人種です。アイラブユーを口にしないとそれだけで離婚が成立するという国なのです。彼らにとって、愛はつねにお互いの確認が必要なものです。「愛している」と口に出して言わなければ、愛が冷めたと考えるのです。

 なぜでしょうか。それは、前述したように、欧米人は多民族国家であり、競争社会であり、それだけに強い孤独感に襲われ、お互い同士の結びつきを強く求めるからです。その孤独を癒してくれるものは、言葉によるコミュニケーションだけです。I love you. を連発する理由がそこにあります。

A 愛を口にしない日本人

 普通の日常生活でも、日本人は欧米人に比べるとずっと寡黙な国民ですが、愛情の表現になるとさらに徹底的になります。日本人は愛情表現が下手というよりも、できないのです。むろん、愛はありますが、それは口に出さなくても伝わる、と思っています。というより、そもそも愛は内に秘めるものであり、、口に出して言えばかえってそらぞらしくなるのです。とくに男女の愛については、口にするさえはしたないと考えるのです。

 とくに中高年の多くの人たちは、 「愛している」という言葉はドラマか流行歌の中にしか存在しないと思っているようです。

B 二葉亭四迷の訳したI love you.

 むかしはさらに、ひどかったようです。明治の作家、二葉亭四迷は、トゥルゲーネフの小説「アーシャ」の翻訳で、女性の言う I love you. を訳すのに、はたと困ったそうです。何でも相愛の男女が愛を確かめあうクライマックスの場面で、男が I love you. と言い、女もそれに答えて I love you. と言う。男のせりふの方は「ぼくはあなたが好きだ」で簡単ですが、女の方はそうはいかない。もし、「私もあなたが好きです」とでも言ったら、それは教養のない下品な女ということになります。
 女性の I love you. を日本語で何と訳すべきか、二葉亭四迷は、二日二晩考えた末、今も名訳として伝わっている名訳を思いついたといいます。それは、「わたし、死んでもいいわ」 という言葉でした。

 日本では現代でも、男性が女性に対して「君を愛している」というのは、結婚を申し込むときぐらいにしか言えない言葉です。ふつうの実生活の場面では、ななかなか言えません。まして明治時代、しかもそれが女性ともなれば、愛を口にするということは不可能でした。せいぜい女性の言えることは、「あなたをお慕いしています」ぐらいなものでした。

C 夏目漱石の訳したI love you.

 夏目漱石も、I love you. をそのまま直訳できないと思いました。彼は、英語教師として教壇に立った時、イギリスの小説のなかにある I love you. を「愛しています」「好きです」と訳した学生に、そんなふうに訳すものではないといって、ある訳を示しました。漱石先生曰く、

「こういう時は『月がキレイですね』と訳すもんだ」

(3)人間愛を取り上げる英語ことわざ

 さて、LOVEには、もう一つ、より高い次元の愛、Aの人間愛とか博愛があります。この意味のLOVEのことわざは、英語に多くあります。

・ Love your neighbor as yourself.[Matthew 19-19, 22-39]《隣人を汝自身のごとく愛せ》[聖書マタイ伝]
・ Love begets love.《愛は愛を生む》
・ Love makes the world go round.《愛は世界を動かす》
・ Love is the reward of love.《愛は愛の報い》

 日本にも、次のようなものがありますが、その数は少ないようです。

・ 「愛出ずる者は愛返り、福往く者は福来る」

・ 「愛語よく回天の力あり」(道元)

@ マザー・テレサを動かした人間愛


 ここで、一つのエピソードを紹介しましょう。インドのスラム街で貧しい人々の救済に一生を捧げ、ノーベル平和賞を受けたカトリック修道女、マザー・テレサは、「愛の反対は憎しみではありません」と語りました。

 愛情と憎悪は、ふつう反意語と考えられていますが、ちょっと視点を変えてください。愛が強ければ強いほど、それが裏切られたとき、憎しみは強くなるものです。肉親や夫婦など、強い絆で結ばれているものが、一つ間違うと大きな憎しみになり、ついには殺人事件にまで発展することは、毎日のニュースでいやというほど見聞きしています。それは愛といい、憎しみといい、心の根っこにあるのは同じものだからです。愛と憎しみは表裏一体、切っても切れない関係にあります。それは、反意語ではなくて、同意語なのです。日本のことわざに

・ 「可愛さ余って憎さが百倍」
・ 「愛は憎悪の始めなり」

とありますが、これも愛の反意語は憎しみだと考えているようです。このような憎しみは第一の愛から出てくるものであって、本当の愛から出てくるのではありません。

A 愛の反意語は何か?

 では、マザー・テレサは、愛の反意語は何だと言ったと思いますか。次のように考えれば判ります。愛といい、憎といい、相手への強い興味、関心があればこそ、生じるものですね。ですから、愛の反意語は興味や関心のない状態、つまり無関心です。 
 マザー・テレサは、「愛の反意語は無関心だ」といいました。隣の人が何をやっていようと、どんなに苦しんでいようと、どんなに哀しんでいようと、一切関係ない、全く無関心だというのが愛の反対です。マザー・テレサは、貧しい、虐げられた人々に対して、無関心にならないでください、関心をもってくださいと叫び続けました。それが本当の意味の愛、Aの人類愛なのです。

                          NEXT HOME