2.ことわざの日英比較         安藤邦男

  英語のことわざと日本語のことわざとは非常に大きな違いがあります。その違いはどのようなものでしょうか。ここで英語ことわざを取り上げて、日本語ことわざとの違いを見てみましょう。

 そのために、まず次のクイズをやってください。

【クイズ1】は、すっかり日本語ことわざの中に定着した英語ことわざを見分ける問題です。
【クイズ2】は、日本語ことわざに対応する英語ことわざを見つける問題です。

  【クイズ2】     【クイズ3】

  (1)表街道を堂々と行進する英語ことわざ

      
《平叙文や命令文で、直接的・論理的に教訓を与える》

 【クイズ2】で判るように、文章形式としては「AはBである」という平叙文(@DFHJLNP)や「〜せよ」という命令文(BR)が多いことです。平叙文や命令文では、指示する対象がハッキリしているので、意味が明瞭です。教訓も、具体的な事実に即して述べているので、判りやすく、迷うことはあまりません。

 教訓が具体的であるということは、【クイズ3】を見ればさらにハッキリします。【クイズ3】の解答で、左側の@〜Iの日本語ことわざと右側の(a)〜(j)の英語ことわざを比較してみると、左側の日本語ことわざの喩えを右側の英語ことわざが具体的な教訓として解説していることが判ります。

 また、英語ことわざの教訓の内容は、積極的に人生の生き方を教えるものが多く、この点ではことわざというよりは格言と呼ぶにふさわしい格調をそなえています。それには、聖書やシェークスピアなどの文学作品からの出典がいくつかあることにも原因があります。

 結論: 英語のことわざの多くは、平叙文や命令文の形式で命題を平明に述べている。そして内容的には、人生の意味や生き方に関する教訓を述べるものが多い。

  (2)裏街道を道草して歩く日本語ことわざ
    《比喩や省略を多用し、間接的・諧謔的に批評する》

 さて、英語のことわざが「表街道を堂々と行進する」とすれば、日本語のことわざは「裏街道を道草したり遊んだりしながら歩く」ということができると思います。

 【クイズ2】と【クイズ3】からお判りのように、日本のことわざは比喩が多く、しかも主語や述語を欠いていて、文章としては不完全なものが多いのです。ですから、裏に隠された教訓の意味が取りにくいのです。例えば【クイズ2】のI
夜目遠目傘の内などは、謎かけ言葉のようで、はじめて聞く人は何のことか解りません。これは、女性が美しく見えるための条件を述べているのです。

 また、O石部金吉金兜も、名詞だけ並べ、直接的には何の意味もないことわざのようですが、何度も口で言っているうちに、発音の類似で堅い人物を滑稽に形容していることが判ってきます。このようなダジャレのことわざも、日本にはいくつかあります。例えば、

「結構毛だらけ灰だらけ」

「敵もさる者ひっかく者」

「アリがタイならイモムシやクジラ」

などの言葉遊びのことわざなどがそれです。これらは、たわいのないものですが、なかには相手を笑い者にしたり貶めたりするものもあります。

 例えば、何でも自慢する男に対して


「見上げたもんだよ」
と言いはじめて

「屋根屋の褌」と落とす。

これは


「大した(田へした)もんだよ、タニシのしょんべん」


と同様、映画「トラさん」の連発することわざのギャグです。

 また、前の節で述べたように、英語ことわざは、教訓を字義通りの意味としてありのままに述べたものが多いのに、日本語のことわざは、喩えや比喩を表面に出し、教訓を裏の意味として隠しているのが多いのです。

 例えば、【クイズ3】の@岡目八目、A転ばぬ先の杖などは、それぞれが裏に隠された教訓をもっています。それがどんな意味なのかは、事前に教えられなければ、自分で判断するのはなかなか難しいと言えます。

 もっとも日本のことわざにも、「精神一到何事かならざらん」(論語)のような中国起源のものもあり、それらは比喩や喩えを用いずに教訓を直接に格言形式で言い表していますが、しかし、それらは数の上ではそれほど多くはありません。

 それからもうひとつ大きな特徴は、日本のことわざは英語のことわざのように相手に直接教えたり、忠告したりするものは少なくて、それよりも喩えや比喩の形を借りて相手を間接的に批評するものが多いということです。

 例えば、【クイズ2】の日本語ことわざC団栗の背比べ、E釈迦に説法、G犬が西向きゃ尾は東、K下手の道具調べ、M二階から目薬、Q紺屋の白袴などはすべて、喩えを用いて、ある情況の矛盾、不合理、滑稽を指摘して、その非をとがめたり、揶揄したりすることわざです。

 これには理由があるのです。日本民俗学の父と言われる柳田国男は、日本のことわざは最初、部落同士の喧嘩や争いごとに用いられていたという《俚諺武器説》を唱えました。だから相手をやっつけたり、笑いものにすることわざが多いといいます。このことについては、次の節で扱うことにします。

 結論: 日本語のことわざの多くは、比喩や喩えをうちに含み、しかもそれを主語や述語を欠く省略形式で表わしている。そして内容的には、人を批評したり、揶揄したりするものが多い。

  【参考】 柳田国男の俚諺武器説

     《喧嘩や争いごとから生まれた日本のことわざ》


 柳田国男の俚諺武器説を解りやすく解説すると、次のようになります。

 例えば、小男ばかりのいる村の者が大男ばかりいる隣村の者と喧嘩をするとします。小男の村の者は大男の相手に向かって、

「独活の大木」

とか

「大男総身に知恵が回りかね」

とか言ってからかいます。すると相手も負けてはいない。


「大は小を兼ねる」


といって、自分の長所を述べ、逆に小さな相手を

「一寸法師の背比べ」

とか


「ドングリの背比べ」

などといってからかいます。すると小男の方も黙ってはいない。

「サンショウは小粒でもピリリと辛い」

と言い返します。言われた大男はさらに小男に向かい

「蟷螂(とうろう)が斧」

とか

「ごまめの歯ぎしり」

と言って冷やかします。

 こういうやりとりが、日本のことわざの起源だというのです。やがて、敵対抗争が収まると、今度は共同体の団結をはぐくむ必要が生じてきます。そのための道具としてことわざが使われるようになりました。例えば、和を乱す不心得者がいると、満座の中で笑い者にします。笑われた当人は、村八分にされないために、その批判に従わざるをえないのです。

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