燦火と銀花は
「ここでお待ち下さい」
「ありがとうございます」
なにげない銀花の礼に、燦火はぴたりと止まる。いらだちに満ちた燦火の胸の中で、温かなものがじわりと生まれたからだ。
燦火の
「……どうってこと……
ありません」
本心からの笑みをいくばくか
しかし、燦火が
突然見知らぬ妖怪が現れたこと、そしてそのどす黒い雰囲気に、銀花は翠嵐を見たまま
妖怪であれ人間であれ、その者の精神構造は
しかし、その燦火の
翠嵐を治さなければ家に帰れず鬼の
翠嵐は銀花の前に立ち、不思議そうに銀花の顔や肩、胸をぺたぺたとさわる。恐怖にとらわれた銀花は固まったまま動くことができない。
せっかくうまくいっていた客のもてなしが台なしにされて、燦火の中に静かな怒りがくずぶりはじめる。
「"おやめ"」
いまだに翠嵐を支配している燦火、その絶対命令により、翠嵐は一瞬で
「あっ! 翠嵐!」
居間の向こうから、翠嵐を捜していた紅葉が走り寄る。紅葉の登場に、一度見た妖怪とはいえ銀花は呼吸を忘れる。
「ここにいたのか。
だめじゃないか、勝手に動いて」
紅葉は翠嵐の背後に立ち、その両肩にそって両手を置く。しかし、翠嵐が人形のように固まったままなのに気づき、さらにそばにいた燦火に気づく。
「お前、妹に何をした?
すぐに元に戻せ!」
「……"おやすみ"」
燦火は目を閉じ、いら立ちを声ににじませて翠嵐に命令する。そのとたんに翠嵐は
「さっさと部屋の
ほこりが積もった所はまだあるんだ」
翠嵐の心を踏みつぶした鬼の燦火と、紅葉はいまだに
「……わかりました」
紅葉の
燦火という少女は馬鹿ではなく、むしろ
それでも忍の家にやって来てから、首輪の
燦火が
燦火は複雑な想いを心に
燦火が廊下の向こうまで歩いていったのを確認し、紅葉はそこでようやくふすまの近くに立っていた銀花に気づく。そして彼女が前に忍と向き合っていた人間であることを思い出した。
「何だお前は?
どうしてここにいる?」
「…………!」
燦火への怒りの
化け物にはなれっこの銀花も、妖怪と接することなど初めての経験だ。銀花は身体がふるえるような恐怖を覚えていたが、それでも持ち前の
「私は白水君のクラスメイトです。
白水君に会いに来ました。
あなたこそ、妖怪のあなたこそ、
どうしてここに住んでいるのですか」
「…………!」
銀花の問いに、今度は紅葉が
質問への解答はすでに紅葉の胸の内にある。しかしそれを具体的な言葉にし、さらに他人に伝えてしまうのは、今現在の不安な状況を次の次元に押し進めてしまうような気がして紅葉には恐ろしい。
いかに銀花といえども、正体不明の妖怪にこれ以上強く問いただすことはできない。銀花は紅葉を見たまま動かず、紅葉も彼女から目をそらしたままどうにもできない。
空気の
「
本を持って家にやってきた人間です」
霧絵は目を閉じたまま、銀花の姿を頭から足までしげしげと見つめる。銀花の身体をつつむ冬の
「まさにこれから出て行こうという時に
現れるとは、
ただの偶然か、それとも天の
ついに
銀花が自身に目を向けて表情をこわばらせているのを確認し、霧絵は銀花に霊視能力があることをすぐに理解する。
「その本は
霧絵から話しかけられたことに銀花はおどろいたが、あまりの
「感心だな。ついてきたまえ。
君を私の城に案内しよう」
霧絵はそう言って、
霧絵の勝手な行動に銀花はぽかんとしていたが、立ちつくしたままの銀花の前にノワールが歩いてきた。その黒猫を見て、それがしゃべり、本をしっぽで持っていった謎の猫であることを銀花は思い出す。
「主人のさそいです。お早く」
ノワールは口も動かさずにしゃべって、一瞬でしっぽをひも状に伸ばし、それを銀花の左手首に巻き付けた。そして銀花を異様な力で引っぱってゆく。小さな猫に引きずられる銀花の「ちょっ……ちょっと!」というあわてた声にも、霧絵とノワールは何一つ反応しない。
「この本は白水君のために持って
きたんです!
それに、ここの部屋で白水君を
待ってなければいけないんです!」
「あの男に本の土産など猫に
そもそもあいつは本など読まないよ。
そしてあんな
ナンセンスであり時間の無駄だ」
「えっ」
忍が本を読まないという彼女の言葉が本当なら、彼はなぜ本を求めて銀花にメールをしたのか。そしてわざわざまた本を持ってきたのは何のためだったのか。そんな考えが銀花の頭をすばやくかすめた。
しかし、今はそんなことを
「ちょっと! やめて!
放してよ!」
廊下の先へなすすべもなくずるずると引きずられてゆく銀花。それを見ていた紅葉は銀花の声で
「やめろ霧絵!
こいつは忍の客だぞ!」
「知ったことか」
霧絵と紅葉が冷たい視線をぶつけ合い、その一方でさすがの銀花も気力がつきかけ、へなへなとその場にすわりこむ。
その時、玄関の引き戸が引かれ、廊下を人が歩いてくる気配が銀花達に伝わってきた。
「あれ……? 霜月さん?」
銀花のそばに、買い物袋を両手にさげた忍が立つ。突然家に住むことになった燦火のために食料を買いにスーパーへ行っていたのだ。水だけで生きてゆける妖怪とはちがい、鬼の燦火は米や肉や野菜も食べる。燦火は電撃を恐れてか、それとも味に満足しているのか、忍の手料理をつつましく食べている。
忍の声に銀花は救われた思いで顔を上げる。そして忍まで夜のように暗い闇をまとっているのに気づき、銀花は忍を見つめたまま凍りつく。
「順番は先にゆずろう。
ただし、土産は先に受け取っておく」
忍の
「大丈夫? 霜月さん」
忍が差し出した手を銀花は取り、ぼう然とした顔でふらりと立ち上がる。銀花は忍の手をにぎったまま、忍の顔をじっと見つめている。そんな2人の様子を見て、紅葉の心に不快な感情がじわりとわき上がる。
銀花は忍の家に来てからのことを思い出し、考える。忍の家には右を見ても左を見てもこの世ならざる化け物ばかり。忍までもそれらの仲間入りを果たしているようだった。
十数秒の
「どういうことなの?
今度こそ、ちゃんと全部説明して
もらうからね」
問いただすべきことはいくらでもあった。どうしてこんなに化け物が住んでいるのか、なぜ忍まで妖怪になっているのか、そして忍が本を読まないというのは本当なのか。
「私も忍に説明をしてもらおう。
この女は忍のなんなんだ」
銀花のみならず、紅葉までもが忍の顔を見て、答えを待ちのぞんでいる。
忍は「あはは……」と苦しまぎれのかすれた笑いをもらし、答えにつまって頭をかいた。