収蔵品によるこまの歴史

〜第2章 ベーゴマの歴史〜

その1 江戸時代〜戦時中のべーごま
その2 戦後のべーごま・変わりべーごま
その3 新しいべーごま
その4 ベーブレードと類似品、模造品


その1 江戸時代〜戦時中のべーごま

江戸期、ばい貝に砂や鉛をつめて、 色蝋(ろう)でふさいでいたバイが現れました(写真1)。
今でも関西ではべーごまのことをバイと呼んでおり  これが訛(なま)ったのです。
貝製のものは大正時代まで続き、コールタールのようなものでふさいだのもありました(写真2)。
大分県の佐伯市に公演に行った時、「国東半島ではこんなものでまわしていた」とばい貝を加工したものをいただきました(写真3)。
江戸期のものと、どちらが古いかは文献が未だ見つかっていないので定かではありません。
沖縄にジングールマース(写真3)といって、もっと小型ではあるがまったく同じものがあります。
これは明らかにひねってまわすものです。

日本各地に「たたきごま」のことをバイと言っているところは多いです。
たとえば三重県の熊野市あたりでは「そしバイ」といっています。
蝋でふたをしたものは、明らかに売るための製品ですからきっと、手製のバイの方が古いと思われますが、鉄製のバイが出現したため作られなくなり, 自分達で作ったのか、それとも貧しかった農村や漁村の子ども達が手製で作ったものなのかわからないほうが、ロマンがあっていいじゃありませんか。

写真1

写真2

写真3

 

明治40年頃、金属製のベーごまが出現するが最初は真鍮製でした。(写真4)
その後、鉄製のべーごまが出現しますが、
当初は貝の形をしており、外側の彫りも深かったです(写真5)。
中は空洞で後のオチョコベイになりました。(写真6)

写真4

写真5

写真6


また鋳物ではなく純度の高い鉄製でずっしりと重いものもありました。(写真7…貝の名残のあるもの)
また、顔の形をしたべーごまもあり、
面(めん)バイといい、表面と回る部分に彫り込まれるものの2種類がありました。(写真8)

写真7

写真8



勝負と賭博性があったため、負けないようにいろんな工夫をし改造しました。
削って低くしたり(写真9)、角をつけたり(写真9)、
ギザギザにしたり(写真9)、先を尖らせたり(写真9)、
空気銃のたまをうめこんだりしたものもありました。
後にそれを大人が商品化していくのです。
強くはならなかったが、自分のものである事がわかる印のために、
硫黄ベイ(写真9)、クレヨンベイ(写真9)等もありました。

写真9



戦争がはじまると粗悪な材質になってきて、
当収蔵品の中にミッキーマウス(写真10)やのらくろ(写真10)の物があります。
材質はよく分からないがひび割れしています。 いよいよ物資が不足してくると鉄や他の金属類が統制になり、
土製(写真10)やガラス製(写真10)、木製(写真10)のものになりました。

写真10

つづく(その2 戦後のベーゴマ・変わりべーごまへ)


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