ウラジミール・スミノフ選手の死亡事故
その1:Wikipedeia 英語版"Vladimir Viktorovich Smirnov" より2006年7月18日版 オリジナル Original article
ウラジミール・スミノフ(1954年5月20日生まれ、1982年7月27日死去)はソ連のフルーレ選手であった。
スミノフは1980年夏季オリンピックの個人フルーレで金メダルを獲得。彼は次の年の世界選手権においても勝利を収めている。
ローマで行われた1982年の世界選手権において、スミノフは西ドイツのマティアス・ベールと対戦。その際ベールの剣が試合中に破損。折れた剣がマスクのメッシュの部分を貫き、さらに眼窩を貫通して彼の脳まで達した。スミノフは9日後に死亡した。
彼には生命維持装置が取り付けられ、最後の試合で最後のトゥシェがされたとき、それは外された。選手権の間に彼が死んでしまうことなど誰も望まなかったので、彼はその間生命を維持されていたのである。
スミノフの事故は、フェンシングにおける安全な用具の飛躍的な発展を促す大きな契機となった。マレージング鋼を用いた剣(当時の炭素鋼の代わりに用いられた)、ケプラー繊維(または他のバリスティックナイロン。防弾チョッキの素材:訳者注)を用いたユニフォーム、そしてスミノフが使っていたものよりも2倍から3倍の強度を持つマスクが、安全性向上のための他の多くのルール改正に加えて開発された。これらは全て、彼の死によってもたらされたものである。
その2:英語版Wikipedia "Fencing"より抜粋
2006年7月19日版 オリジナル Original article
ウラジミール・スミノフ:フルーレの選手。1980年の夏季オリンピックで個人金メダルを獲得、1981年の世界選手権で優勝。1982年にローマで開かれた世界選手権中に、折れた剣が彼のマスクを貫通、致命傷となった(眼球ではなく眼窩を貫通した)。彼の死はフェンシングにおける大幅な安全基準の見直しを促した。
最も特筆すべきは、より頑丈なマスクの導入である。マスクのメッシュは標準のもので12kgの検査に耐える必要があり、FIEマスクでは25kgである。スミノフ選手が当時使用していたマスクは、こんにちの標準マスクの半分程度の強度しかなかった。
他には、800Nの強度を持つ素材がジャケット、プロテクター、ニッカーに用いられるようになり(マスクの前垂れは1600Nである)、フルーレとエペにマレージング鋼が採用されるようになった(マレージング鋼が「フラットに折れる」様に設計されている、というフェンシング界の都市伝説がある。だがこれは全く逆で、炭素鋼よりも単純に折れる頻度が少なくできているのである)。そして、服の重ね合わせや、ファスナー及び縫い目の位置など、様々なルール変更が行われていている。これらの全ての変更は、剣が防御性のある衣服の中に侵入する機会を最小限にすることを企図しているのである。彼の死は痛ましいものであったが、これが究極的にはフェンシングをゴルフよりも統計上安全なスポーツにすることとなったのである。